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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」三成の挙兵と茶々の陰謀、そして高笑う神の君…第41回放送「逆襲の三成」振り返り

「どうする家康」三成の挙兵と茶々の陰謀、そして高笑う神の君…第41回放送「逆襲の三成」振り返り:2ページ目

ウィリアム・アダムスについて

対外政策を任されたイギリス人航海士
ウィリアム・アダムス
[村雨辰剛 むらさめたつまさ]
関ヶ原の戦いの半年前に日本に漂着した、英国生まれの航海士。朝鮮出兵後の対外関係に頭を痛める家康の相談相手となり、やがて江戸に招かれ、外交顧問として重用される。日本名・三浦按針。

※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(登場人物)より

「青沼先生!」そう思ったのは、筆者だけではないでしょう。そのはずです。

(※NHKドラマ10「大奥」に登場した、混血の蘭方医。同じ人が演じています。実に感動的な最期でしたが、戦国時代に生まれ変わったのかも知れません)

日本に漂着したイングランドの水先案内人ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)。今回の大河ツアーズでは彼の最期まで紹介されていたため、恐らく今回限りの出番と思われます。せっかくなので、ここでも生涯をたどっておきましょう。

ウィリアム・アダムスは1564年(日本では永禄7年)9月24日、イングランドのケント州ジリンガムで誕生しました。

船大工に弟子入りしたのち航海術に興味を持ち、25歳で海軍に入隊。アルマダの海戦など軍役に従事した後、退官後は航海士として活躍したと言います。

1598年(慶長3年)に極東を目指す船団に加わったものの、道中で相次ぐ災難に見舞われ、1600年(慶長5年)3月16日に日本へ漂着しました。

ウィリアムが家康と引見したのは同年3月30日。家康はウィリアムを気に入り、ヤン・ヨーステン(日本名:耶揚子)らと共に取り立てます。ウィリアムは外国使節との通訳を勤めるほか、徳川家臣らに幾何学や航海術を伝授しました。

後に洋式帆船の建造に成功したことから旗本に取り立てられ、相模国三浦郡(横須賀市)に250石の所領を授かります。そして三浦按針(みうら あんじん)という名前をさずかったのです。

三浦は所領の三浦郡、按針とは水先案内人のこと。その後も海外交易などに活躍しましたが、家康が亡くなると徳川秀忠・徳川家光らはウィリアムを冷遇。いわゆる鎖国政策に反対したためと言われます。

そして元和6年(1620年)4月24日、平戸の地で55歳の生涯に幕を下ろしたのでした。

3ページ目 長い長い直江状。一体何が書かれていたの?

 

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