
大河『べらぼう』蔦屋重三郎・瀬川・鳥山検校、それぞれの「夢噺」と「苦悩」を回想しつつ考察【前編】
NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」。サブタイトル「蔦重栄華乃夢噺」は、当初から「どのような意味が込められているのか?」と話題でした。
「蔦重」は主人公の蔦屋重三郎(横浜流星)のこと。「栄華乃夢噺」はその蔦重が出版業を通じ文化を作る「夢」を追いかけ栄華を掴んでいく……そんな意味合いが込められているのではと推測されていました。
けれども、「夢」は蔦重が持っているだけではありません。物語の舞台となる吉原に関わるさまざまな人たちの夢もあります。
妓楼主たちの「吉原をもっと賑やかな場所にしたい」という夢。絵師や戯作家たちの「もっといい作品を作りたい」という夢。好きな間夫と一緒になりたい・自由になりないという遊女たちの夢。
そして、吉原を離れたものの、心の中には常に蔦重の面影を抱き手助けしたいと思っている元花魁・瀬川(小柴風花)の夢。瀬川を身請けしたものの、どこか遠くに感じる彼女の心を手に入れたいという鳥山検校(市原隼人)の夢。
ドラマの中では、そんなさまざまな人の「夢」と「苦悩」がテーマとして流れていると思います。そして、それらの「夢」と「苦悩」はそのまま現代に生きる人々に重なるので、ストーリーに共感する「声」も多いのでしょう。
今回は、多くの人が動向や未来に注目している蔦重・瀬川・検校の「夢」と「苦悩」を回想しつつ考察してみました。