
【大河べらぼう】蔦重とのコラボにネット歓喜!朋誠堂喜三二こと平沢常富(尾美としのり)とは何者なのか?
(12)俄(にわか)なる『明月余情』
初回放送日:2025年3月23日
俄祭りの企画を巡り、大文字屋(伊藤淳史)と若木屋(本宮泰風)が争う。蔦重(横浜流星)は、祭りを描く本の執筆を平賀源内(安田顕)に依頼すると喜三二を勧められる…※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。
喜三二と言えば朋誠堂。朋誠堂喜三二(ほうせいどう きさんじ)とは平沢常富(ひらさわ つねまさ。尾美としのり)の筆名です。
第2回放送「吉原細見『嗚呼御江戸』」で初登場、蔦屋重三郎(横浜流星)と顔を合わせており、第11回放送「富本、仁義の馬面」では『青楼美人合姿鏡』を熱心に読んでいました。
蔦重「あれ、お客さん、どこかでお会いしたような……?」
平沢常富「まぁ、どこかでは会ってるかも知れませんね」
果たしてどんな人物だったのか、今回予習しておきましょう!
優秀な外交官
平沢常富は享保20年(1735年)閏3月21日、西村平六久義(にしむら へいろくひさよし)の三男として誕生しました。
14歳となった寛延元年(1748年)に、母方の親戚である平沢家へ養子入りします。
平沢家は秋田久保田藩に勤めており、その祖先は戦国大名・佐竹義重に仕えた愛洲元香斎(あいす げんこうさい。小七郎宗通)ということです。
天明年間(1781~1789年)には久保田藩の江戸留守居役筆頭を勤め、その石高は120石。現代の感覚では年収およそ1,200万円くらいでしょうか。
江戸留守居役は江戸藩邸に常駐し、幕府や他藩との連絡調整を行う、外交官のような役割を担っていました。
その筆頭を勤めたのですから、平沢常富は相当に優秀だったことでしょう。