江戸時代の人は“遊び上手”だった?浮世絵・お伊勢参り・歌舞伎に見る、娯楽を濃く楽しむ知恵
スマホを開けば、動画が無限に流れてくる時代です。暇つぶしには困りません。映画も音楽もゲームも、昔ならわざわざ店へ行かなければ触れられなかったものが、今は全部ポケットの中に入っている。なのに最近、「早く続きが見たい!」みたいな感覚が、少し薄くなった気がすることはありませんか?
配信は一気見できるし、曲もすぐ聴ける。便利なのは間違いない。でもそのぶん、“待つ楽しさ”みたいなものは減ったのかもしれません。
そんなことを考えていると、ふと羨ましくなるのが江戸時代の人たちです。もちろん、実際には、当時に戻りたいとは思いません。夏は暑いし、移動は徒歩。衛生環境だって今とは比べものにならない。エアコンもコンビニもない生活は、たぶん数日で心が折れる。
それでも、江戸の町人文化を見ていると、「この人たち、遊ぶの上手いな。人生の豊かさが違うな~」と、ときどき羨ましく思うことがあるのです。
浮世絵は“美術品”ではなかった
葛飾北斎や歌川広重と聞くと、今では「歴史上の偉人」という印象が強いですよね。
でも、当時の浮世絵はもっと身近な存在でした。人気役者の絵を買ったり、名所の景色を眺めたり、「ここ行ってみたいな」と話したりする。感覚としては、今のポスターや推しグッズにかなり近かったはずです。
広重の『東海道五十三次』なんて、現代で言えば“旅行写真アカウント”みたいな側面もあったんじゃないでしょうか。
「あ、この宿場町よさそう」
「この景色、実際に見てみたい」
そんな会話をしていた人、絶対いたと思うんです。そう考えると、人間のテンションって二百年くらいでは案外変わらないのかもしれませんよね。
お伊勢参りは、大型旅行イベント
江戸時代のお伊勢参りも興味深いです。
東京から伊勢までなんて、今なら新幹線で行ける距離ですが、当時は当然徒歩。冷静に考えたらかなり過酷です。それでも、多くの人にとっては人生レベルの一大イベントでした。それぞれの地域では、毎年村ごとに代参してくる代表者を出し、送り込んでいたほどです。
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一方で、旅の道中では、名物を食べ、宿場町に泊まり、お土産を買う。むしろ参拝だけでなく、“旅そのもの”を楽しんでいた節がある。十返舎一九の書いた『東海道中膝栗毛』を読むと、その空気感がよく伝わってきます。
主人公の弥次喜多たちは、ずっとくだらないことで騒いでいる。見栄を張って失敗したり、勘違いしたり、変なトラブルに巻き込まれたり。読んでいるうちに、「ああ、昔の人も普通にこういうノリだったんだな」と、共感してしまうこともしばしば。
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昔の人たちだって、案外といまの私たちと同じように笑って、失敗して、無駄話していたのかもしれません。

