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定説、覆る!戦国時代「川中島の戦い」で武田信玄と上杉謙信は実際に何回戦ったのか?

定説、覆る!戦国時代「川中島の戦い」で武田信玄と上杉謙信は実際に何回戦ったのか?

義を貫いた謙信の戦い

戦国時代の合戦で有名なものを挙げるとすれば、「川中島の合戦」は外せません。甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信という二人の名将が激突したこの戦いは、多くの日本人に愛されています。

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日本中で戦国時代ブームが再び高まっているこの頃。戦国史上でも人気の高い合戦の一つが、「川中島(かわなかじま)の戦い」です。戦国時代の1553年(天文22年)から1564年(永禄7年) の11年…

理由の一つは、信玄と謙信がほぼ同時代を生きた良きライバルだったからでしょう。

さて通常、合戦は領地を巡って行われます。版図拡大を目指す者と自国を守る者がぶつかり合うのが一般的ですね。

ところが、謙信は違いました。川中島は北信濃の千曲川と犀川に挟まれた要衝の地ですが、信玄の領地でも謙信の領地でもなかったのです。

当時、信濃国は特定の有力大名が支配せず、複数の豪族が分有していました。

そこへ目をつけた信玄が信濃侵略を目指して出陣したのに対し、謙信は村上義清や小笠原長時など豪族からの要請を受けて出陣したのでした。

出陣前、謙信は義清にこう語っています。「信玄がのちの勝ちを大切にするのは、国を多く取りたいという気持ちがあるからだ。私には国を取る考えはなく、のちの勝ちも考えない」。謙信は「義」を重んじる武将として知られ、川中島の合戦もまた、正義のための戦いだったのです。

2ページ目 五回も行われた名勝負、でも実は……

 

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