
定説、覆る!戦国時代「川中島の戦い」で武田信玄と上杉謙信は実際に何回戦ったのか?:2ページ目
五回にわたる「名勝負」?
川中島の合戦が人気のもう一つの理由は、五回も行われたことです。一回では雌雄を決することができない名勝負だったからこそ、後世に語り継がれています。
定説では、1553年(天文22年)、1555年(弘治元年)、1557年(弘治3年)、1561年(永禄4年)、1564年(永禄7年)の五回とされています。
しかし異説も多く、例えば1547年(天文16年)から1561年までに二回という説や、有名な永禄4年の合戦のみとする説が存在します。
他にも二回説、三回説、あるいはもっと多い回数を主張する説まであり、実に多様です。
実はまとめて一回だけ
では、五回の合戦とはどんなものだったのでしょうか。
第一回目では、謙信が武田軍を撃破し、武田軍は甲府に退却しました。しかし、再び出陣した信玄と川中島西方の布施(篠ノ井)で戦い、今度は上杉軍が退却しています。
第二回目では、両軍が犀川を挟んで対陣し、激戦の末に30日間(あるいは100日間とも)睨み合いました。信玄が今川義元に調停を依頼し、両軍は和を結んで撤退したのです。
第三回目は、信玄が犀川北方の葛山城を攻めたため謙信が出陣。川中島北方の上野原で戦闘がありましたが、大きな損害はありませんでした。
第四回目は、「キツツキの戦法」や信玄と謙信の一騎討ちが伝えられ、武田勢が勝った説と上杉勢が勝った説がありますが、決着はつかず。
そして第五回目では、両軍が川中島を挟んで60日間睨み合っただけで終わりました。
こうして見ると、本格的な合戦といえるような戦いは永禄4年の合戦のみで、5回の合戦の中にはにらみ合っただけのものもあります。
結局、川中島の合戦は5回の合戦を一連の合戦とみるべきなのでしょう。
参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史』宝島社 (2014/8/20)
画像:photoAC,Wikipedia