なぜ浅井の旧臣は秀吉に従ったのか? 武力を使わず“自分の味方”に変えた裏工作の技法とは
破格の処遇と戦後処理
戦国時代の領国支配と聞くと、武力で反抗勢力をねじ伏せるというイメージが強いかも知れません。
実際、浅井氏が滅んだ後の北近江三郡(伊香・東浅井・坂田)も、豊臣(羽柴)秀吉が力で押し切って平定した……と語られがちです。
しかし、秀吉が北近江で行ったのは、単純な軍事支配ではありませんでした。
浅井氏滅亡後、織田信長は北近江三郡を秀吉に与えました。『信長公記』によれば、これは浅井氏の旧領を丸ごと任せるという破格の処遇でした。
秀吉はまず横山城を拠点に据え、戦乱で荒れた地域の立て直しに着手します。寺院の復興支援や、服属した者への融和策がその代表例です。
つまり、秀吉の北近江統治は戦後処理から始まったのです。
ちなみにこの頃、弟の秀長も兄のもとで実務を担い始めていました。秀長は慎重で温厚な性格で知られ、北近江の新体制を支える調整役として動いていたと考えられます。
兄弟の連携が、旧浅井領の安定化を後押ししたのでしょう。
では、秀吉はどのようにして北近江を“敵の土地”から“自分の領国”へと変えていったのでしょうか。
2ページ目 敵を追い詰めるのではない。「敵を味方に変えた」秀吉の真骨頂とは?
