『豊臣兄弟!』に初登場!松岡広大が演じる吉川平助とは?豊臣兄弟の絆を引き裂く不祥事と非業の末路
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第36回放送「姫若子と鬼若子」で初登場した吉川平助(松岡広大)。羽柴秀長(仲野太賀)に仕え、紀伊の山奉行として活躍した人物ですが、彼はいったい何者なのでしょうか。
そこで今回は吉川平助(きっかわ へいすけ。吉川平介とも)の生涯をたどってみたいと思います。大河ドラマ「豊臣兄弟!」を楽しむ参考になれば嬉しいです。
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材木取引で莫大な財産を築く
吉川平助の生年や出自について、詳しいことはわかっていません。熊野灘で活動していた船侍(水軍)とも言われるそうです。
元は織田信長(小栗旬)に仕えて伊勢大湊の船奉行を務め、徳川家康(松下洸平)の伊賀越え(※)に際して舟を手配したと言われています。
(※)伊賀越え:本能寺の変に際して、外遊中だった家康が伊賀路を越えて本国へ生還したエピソード。
天正13年(1585年)に羽柴秀吉(池松壮亮)が紀州を平定すると、秀長に仕えて紀伊湊の差配を任されます。
また7千石を与えられて雑賀城を築き、翌天正14年(1586年)に北山一揆が勃発した時は、秀長に従ってこれを鎮圧しました。
紀伊国は秀長の領地ではありましたが、当時は大和統治に注力しており、紀伊の統治は少なからず平助に託されていたようです。
劇中でも言及されていたとおり、紀伊では良質な材木が産出されました。平助は山奉行として材木の調達や管理を一手に担う存在となっていきます。
当時、畿内では秀吉が京都の大仏(方広寺大仏殿)などを建立しており、熊野の良質な木材需要が高まっていました。
平助はこれを高値で売りさばき、羽柴政権の財政に貢献したのはもちろん、役得とばかり私服も肥やしていたことでしょう。


