【ブラッサム】23歳で一軒家購入もわずか2年の札幌生活!珠のモデル・宇野千代に起きた運命の転機
NHK朝ドラ「ブラッサム」第6週『ふたり、北へ』。
木村保(金子大地)・珠(石橋静河)夫婦は、保の母・照子(山田真歩)の従兄弟・木村正吾(三宅弘城)を頼って、札幌へ移住。
正吾は、10年ほど空いていたという広い部屋を、若夫婦のために用意してくれました。
珠のモデル・宇野千代の札幌時代に関しては、こちらの記事でも詳しく紹介しています。
【ブラッサム】木村正吾のモデルは誰?札幌で始まる本格創作…平穏の先に待つ“情熱的な恋”
東京の下宿とは大違いの広い部屋に驚きつつ、窓の外に広がる見たこともないような雪景色に驚き、笑顔になる珠。
この新天地での生活や人々との出会いは、子供を失った珠の悲しみを和らげていってくれるといいのですが。
希望を感じられるのは、若夫婦に金銭的な援助と札幌拓殖銀行への就職も約束してくれた、正吾や妻の木村浪江(杉田かおる)が温かい人たちのようなこと。
東京での下宿先の大家・三好辰五郎(赤堀雅秋)と、娘のマキ(中村優子)親子もいい人達でしたね。
中村親子も保も、同時に珠の好物の「芋羊羹」を買ってきてテーブルに積み重なったのは、皆の静かな思いやりと愛が感じられる場面でした。
史実では、宇野千代は、二度目の夫・藤村忠が帝大を卒業するのを待って、大正8年(1919)に入籍、翌年に北海道拓殖銀行札幌支店への就職に伴い札幌に転居しています。
千代は、札幌で出会った人に勧められ『仕立屋』の仕事をしたり、『頼母子講』に参加したりして生活費を稼いだそうです。
実は、2年ほどと短いものだった宇野千代の札幌での滞在。
「仕立屋」とは?「頼母子講」とは?……短期間での千代の奮闘ぶりを探ってみました。
腕前を生かして「仕立屋の姐さん」になる
ドラマの中で、保・珠夫妻を札幌に呼び寄せた木村正吾は、札幌拓殖銀行で総務部長という設定です。
宇野千代の自伝的小説『生きていく私』では、正吾に相当すると思われる「高森の分家の伯父・伯母」(※)が登場します。
※千代の父方の親戚
伯父は開墾時代の北海道に渡り新聞事業を起こして成功した人物で、新婚夫妻は、とりあえずその伯父の邸宅の離れに落ち着き、その後、ほかの家を間借り。
千代の夫・忠はそこから伯父の新聞会社に通い、千代は世話焼きの大家に『仕立物の仕事』と『頼母子講』を紹介してもらったそうです。
実際、宇野千代は小説家だけではなくのちに着物のデザインを手がけ「きものデザイナー」としても大成しますが、女学校で身につけた裁縫の腕前をいかし生活の糧にできました。
「ブラッサム」の中でも珠が裁縫が上手なことを表す場面は、ちょくちょく登場していましたね。ドラマでも珠は「仕立て屋」を始めるようになっています。
私はどこへ行っても、「仕立屋の姐さん」と言って、呼びとめられるようになった。料理屋の女たちや、宿屋の女たちが私のお得意であった。(『生きていく私』宇野千代・角川文庫)
SNSなどない大正時代。
きっと、千代の腕前も仕上がりも確かなものだったからこそ、「あそこの仕立屋の姐さんはいいよ」と女性たちの間で、高評価の口コミが広がったのではないでしょうか。


