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【豊臣兄弟!】秀長の死去まで4年…「光秀だけが忠臣だった」公方様(尾上右近)の後悔と秀長に遺した警告

【豊臣兄弟!】秀長の死去まで4年…「光秀だけが忠臣だった」公方様(尾上右近)の後悔と秀長に遺した警告

『わしにとっては、光秀だけが変わらぬ忠臣であった』

…ここに来て、こんな公方様のセリフを聞くとは。

「それ、光秀殿に言って欲しかった」という悲鳴のような声がSNSであがった、今回の「豊臣兄弟」第42回『北野大茶湯』。

秀長(仲野太賀)は、出家して足利昌山となった室町将軍・足利義昭(尾上右近)と久々に再会しました。

聚楽第を完成させた秀吉(池松壮亮)のことを「たいした男じゃ」とその力を誉めつつも、公方様は「その力は人を変えてしまうやもしれぬ」と、秀長に自身の失敗からくる忠告と警告を与えます。

そして、千利休(吉岡秀隆)も、最近の変わりゆく二人の未来を憂う予言をしました。

先週、天下統一も目の前に見えてきた喜びに感動しつつ、大阪城からお天道様を眺めていた豊臣兄弟。

あのとき、秀長が「今が一番ええ。そんな気がするわ」の言葉が、不吉な空気を纏って蘇りました。

お気づきでしたでしょうか……。

今回、さりげなく幾度となく登場した「変わっていく」「変わらない」というキーワード。

変わっていく秀吉と変わらない秀長の分岐点となった、第42回『北野大茶湯』を、その視点で考察してみました。

目指す世が「逆らう者がいなくなる世」へ変わる秀吉

史実では、天皇のいる京都に天正14年(1586)2月に着工、翌年9月に完成という速さで造られた聚楽第。

秀吉の祐筆・大村由己の『聚楽行幸記』によると「聚楽」とは「長生不老の楽しみを聚(あつ)める」という意味だそうです。

その完成を祝い「盛大な茶会の開催」を提案する秀次(山田涼介)と、「まだ時期尚早。九州平定したとはいえまだ落ち着いておらぬ」と止める秀長。

諸大名を呼びつけ殿下の威光を示そうという秀次に、「諸大名は我らの道具ではない」と反対する秀長ですが、秀吉は秀次の意見を聞き入れてしまいます。

「誰もが垣根なく楽しめる茶会を開くことが我らの目指す天下」と口ではいう秀吉。

けれど、信長の理想「空のように垣根のない世の中」から、「ただの天下人ではなく、大明神となった自分の威光を世に中に知らしめたい」「わしに逆らう者はいない世にしたい」と、趣旨が変わってしまった様子。

史実でも、天正15年10月1日、京都の北野天満宮で催された『北野大茶湯』。

ドラマでは、「10日間続くはずだったのに1日で終了してしまった」理由として、諸説あるなか有力とされている『肥後国人一揆』が勃発、即秀吉が取りやめにした場面が描かれていました。

結局、「時期尚早」という秀長の憂慮が当たったのでした。

2ページ目 「変わっていく」ことを予言した千利休の言葉

 

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