【豊臣兄弟!】秀長の死去まで4年…「光秀だけが忠臣だった」公方様(尾上右近)の後悔と秀長に遺した警告:4ページ目
「兄を諌めて助けられるのはおぬしだけ」
「関白天下は力を持った、大した男よ。けれどその力は人を変えてしまうやもしれん。気付かぬうちに目が眩む。わしもそうだった。」
「幕府による天下静謐を目指していたはずが、信長への憎しみという我欲にとらえられてしまった。」
「やっかいなのは、その力は周りのものも変えてしまう。誰も諌めてくれぬどころか答えを間違えてしまう。」
この公方様の告白は胸に沁みました。
そこで、秀吉と並んで立つ秀次が、「佐々殿についていささか気になることがございます」秀吉に告げる場面が挟み込まれ、公方様のその言葉を暗喩しているようでした。
「わしにとっては光秀だけが変わらぬ忠臣だった」
「あやつを助けてやれなかった。止めるつもりで伝えた言葉が裏目にでてしまった。」
「あやつを死なせたのはこのわしじゃ」と、ずっと後悔していたことを語ります。
「おぬしは決して関白殿と離れるではない。兄を諌めて助けられるのはおぬしだけ。わしらのようになるではないぞ。」
ここに来て、光秀と公方様、秀吉と秀長の関係を重ねてくるとは。
そして、久々に会ったのに、ズバリと的を得た警告をする。
変わっていく秀吉を心配する秀長にとって、この公方様の言葉は胸に響いたようでした。
『本國寺の変』での秀長の言葉を覚えていた公方様
「どんなに無様でも、泥水を啜ってもこれまでよう耐えて生きてまいられました」「後はわしらにおまかせくだされ。豊作の世を必ず作って見せまする」
と、公方様に頭を下げて笑顔を見せた秀長。
この秀長の言葉に「公方様に『無様』とはなんて失礼な」と怒る意見も見かけましたが、これは第11話『本國寺の変』で、本國寺に三好三人衆らが攻め寄ったときの小一郎のセリフなのです。
義昭が死を覚悟したその時。
「百姓はどんなに不作でも自分から死のうとは致しませぬ。なぜなら、次の年こそ豊作になると信じておるからじゃ」
「公方様。豊作の世にしてくだされ。無様でも、生き延びてくだされ!」
長い長い時を経ての、伏線の回収だったのです。
本気で言った言葉だったから伝わった。そして、覚えていた。
史実では、本国寺の変は永禄12年(1569)、そして茶会は天正15年(1587)。
ドラマのセリフではありますが、18年の時を経ても二人が覚えていて会話がすぐに成立したのも胸熱でした。
5ページ目 「お仕えしたいのはただ一人」な光秀に聞かせたかった言葉
