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【豊臣兄弟!】秀長の死去まで4年…「光秀だけが忠臣だった」公方様(尾上右近)の後悔と秀長に遺した警告

【豊臣兄弟!】秀長の死去まで4年…「光秀だけが忠臣だった」公方様(尾上右近)の後悔と秀長に遺した警告:3ページ目

昔の友人に会って「変わらんのう」

ドラマでは、茶会の後、キリシタンの賊による刃傷沙汰が起こり現場にいた鍋丸(福田龍世)という少年が怪しまれ捕まります。

そこに現れたのは、故郷の中村時代の友人で百姓の玄太(高尾悠希)でした。

久々の再会に、一気に兄弟の表情がいつもの「豊臣家」の人間ではなく、当時の百姓時代の顔に戻った瞬間がよかった。

「変わらんのおぉ〜」と再会を喜ぶ兄弟。

敵がいなかった時代からの友人は、この二人にとっても構えることなく安心して話せる相手なのでしょう。

懐かしいだけではなく、相手が「変わらないことの安心感」というものがある……を教えてくれる場面でした。

連れてきた鍋丸は、直(白石聖)が百姓同士の戦いのとき、命と引き換えに助けた娘の子で、直の父親・酒井喜左衛門(大倉考二)が育てていました。

玄太は喜左衛門が亡くなってしまった鍋丸を、雇ってくれと頼みに訪れたのでした。

「小一郎」と呼び頭を下げる玄太と「古い仲ではないか。頭を上げてくれ」という秀長。

二人の仲が、昔のまま変わっていなかったのがよかったですね。

「そなたは何ひとつ変わってはおらぬ」

茶会の後に「肥後国人一揆」の知らせが入り、茶会は1日で中止になりました。

肥後を統治していた佐々成政(白洲迅)のしくじりに激怒する兄を諌め、戻った秀長を一人の客人が待っていました。

……「公方様!??」と驚愕の声を上げる秀長。

帝の聚楽邸行幸に際し挨拶したついでに立ち寄ったとのこと。

史実では、聚楽第の完成の翌年天正16年(1588)4月14日、秀吉は後陽成天皇を聚楽第に迎えています。これは、秀吉が『関白としての権威を天下に示す』ための重要な行事でした。

また、秀長に対して「殿下とは何度か会うておるが」といった公方様ですが、ドラマではカットされた「九州平定」時に、公方様は秀吉と会ったり島津降伏にも一肌脱いだりしたそう。その部分を取り入れたのでしょう。

秀長を「立派になって」と誉めつつ「だが安心した。そなたは何ひとつ変わっておらぬ」という公方様。

「公方様こそ。変わらずお優しいお顔を。あのころから何ひとつお変わりない」と秀長。

ここでも、長年知っていて久々に再会した人が「変わっていない」ことのありがたみ・安心感・嬉しさなどが描かれていました。

「ならば嬉しい限り。そなたの兄もそうであるとよいの」と、含みのある答えをする公方様でした。

4ページ目 「兄を諌めて助けられるのはおぬしだけ」

 

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