【ブラッサム】保との別れ、そして再々婚…黒崎(遠藤憲一)モデル、名編集長・滝田樗陰が引き寄せる数奇な運命
朝ドラ「ブラッサム」。第5週のテーマは、『狂騒で、東京』です。
東京の帝国大学に進学し、9月から東京暮らしが始まった従兄・木村保(金子大地)のお世話をするために、故郷の岩国を出て上京した葉野珠(石橋静河)。
これから、珠の人生を180度変えるさまざまな出会いが待っています。
実際、珠の実在のモデル・宇野千代も伯母の勧めで、三高に通う従兄・藤村忠の世話係として京都に行き同棲生活を経て、忠が東京の帝大に進学するために共に上京しました。
そして、いろいろな出会いにより人生が変わっていきます。
その中に、宇野千代を「作家の道」に導き、世の中に送り出した重要な人物がいました。
当時、日本中の作家志望者が “原稿を読んで欲しい” と願う、名編集者と名高い中央公論社の滝田樗陰(たきたちょいん)です。
名編集者との出会いは文豪が集まる高級洋食店
宇野千代は藤村忠と、小石川駕籠町(今の本駒込)の髪結い床の2階に下宿しました。
家計を支えるため、日本語教師・写真のモデル、出版社の事務員などの職を転々とし、高級洋食店『燕楽軒』で給仕のアルバイトを18日間行います。
『ブラッサム』で珠が東京で働く「悠楽軒」のモデル「燕楽軒」に関して、下記記事で詳しく紹介しています。
『ブラッサム』珠が働く「悠楽軒」は本当にあった!わずか18日のバイトで芥川龍之介らと交差した運命の場所
この店は春日通を隔てたところに中央公論社があり、滝田樗陰が愛用していたそうです。
滝田樗陰(1882〜1925)は、秋田県生まれの雑誌編集者です。
東京帝国大学在学中に、『中央公論』で外国の新聞雑誌の翻訳アルバイトをして能力を認められて正式な編集者となり、大学を中退しました。
明治38年(1950)『中央公論』に文学欄を設置して部数を伸ばした功績から、大正元年(1912)に編集主幹となりました。
そして大物作家であった夏目漱石や森鴎外などを執筆陣に引き入れたそうです。
滝田は、黒塗りの人力車で作家の自宅を駆け回ったので、「家の前に樗陰の車が止まると、一流作家の仲間入りができる」というジンクスまで生まれたとか。
どんなにいい文章を書いても、それを本として世に出してくれる優れた編集者がいなければ、誰の目にも止まりません。
アルバイトの先レストランで、ジンクスまで生まれる有名な編集者と出会えた宇野千代。強運を引き寄せる力を持っている人だったのでしょう。

