【豊臣兄弟!】妹に続き母・なかまで徳川の人質に…秀吉に最大の打撃を与えた大政所・史実の哀しき最期
NHK大河「豊臣兄弟!」では、初回から存在感を放っていた兄弟姉妹の母・なか(坂井真紀)。
日々食べるものに困り、日焼けした顔にボロボロの着物、乱れた髪で家族のために働いていたなかが、のちに『大政所』と呼ばれるようになるとは、この頃はちょっと想像できませんでした。
第2話『願いの鐘』で、「あんたらはあのお天道様のようにおなり!」と告げた母。
兄弟は「常に全肯定してくれる」絶対的な存在のなかに励まされつつ、とうとう天下人にまで上り詰めました。
けれど、妻・寧々(浜辺美波)、妹・あさひ(倉沢杏菜)、あさひの夫で義理の弟・副田吉成(前原瑞樹)……『豊臣家のため』というお題目を唱えつつ、その「家」の構成員である家族を泣かせるようになった秀吉(池松壮亮)と秀長(仲野太賀)。
次は、とうとう愛する母親のなかを人質として徳川に差し出します。
なかは「天下人の母」として政局の最前線に立つことになりました。
史実として伝わるなかの人質としての運命と晩年、そして秀吉に大打撃を与えたその最期を探ってみました。
「豊臣兄弟!」に関しての話題は、下記記事でも取り上げています。ぜひご覧ください。
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なかの生い立ち、秀吉・秀長との暮らし
なかは、永正13年(1516)尾張国愛知郡御器所村(現名古屋市昭和区)に、美濃の鍛冶・関兼貞の娘として生まれたと伝わります。
織田家の足軽(傭兵)の木下弥右衛門に嫁いで秀吉とともを出産、その後、同胞の竹阿弥(筑阿弥とも)と再婚し、秀長とあさひをもうけたという説、再婚はなかったなどいくつかの説があります。
ドラマではすでに父親の存在はなく、なかとしっかりものの姉・とも(宮澤エマ)、働き者の小一郎(秀長)が一家を支えていましたね。
永禄6年(1563)信長が小牧城に本拠を移し、馬廻衆に出世した兄弟は、故郷の中村から母、姉夫婦、妹夫婦を呼び寄せ、家族で賑やかに暮らし始めました。今から思うと、この時が一番幸せそうでした。
なかは秀吉と一緒になった寧々とも上手くやり、小一郎が妻にもらった訳ありの慶(吉岡里帆)には、優しく歓迎の意をしめしたりしました。
息子たちを思い“嫁”との良好な関係を築こうとしていたのでしょう。
また、あるときは、兄弟が城に招いた信長(小栗旬)に心尽くしの田舎料理を差し出し「懐かしい味だ」と心を和らげることに一役買ったり。
目立つ行動ではないものの、そっとフォローをする賢き母でもありました。
2ページ目 「あんたならできる」秀吉を天下人に導いた母の“全肯定”と深い敬愛



