【ブラッサム】保との別れ、そして再々婚…黒崎(遠藤憲一)モデル、名編集長・滝田樗陰が引き寄せる数奇な運命:4ページ目
千人に一人か百年に一人の天才的編集者
尾崎士郎と宇野千代が恋に落ち、一緒に暮らし始めたのが大正12年(1923)。
出会いのきっかけを作った滝田は、翌年の大正13年、腎臓病のために療養生活に入りました。
さらに翌年、大正14年(192)10月27日、43歳で腎臓病の悪化と喘息のため、東京市本郷区根津片町(現・東京都文京区根津)の自宅で死去しました。
東京本郷の喜福寺で執り行われた葬儀は、滝田の死を惜しむさまざまな人が集まり盛大なものになったそうです。
『中央公論』では滝田樗陰追悼記を特集し、そこには芥川龍之介、菊池寛、谷崎淳一郎ほか、そうそうたる人物が名を連ねたそうです。
後年、中央公論社の嶋中雄作社長が樗陰を評して、千人に一人か百年に一人の天才的編集者、と讃えたのも充分に納得のいくところである。(秋田県立 秋田高等学校 同窓会)
また、中央公論社・回顧50年に「滝田樗陰の登場」では、
「樗陰氏の編集者としての卓抜な才能を数うれば、一にして足らないが、まず氏は、公平にして鋭敏なる「時の人」に対する選択眼を具していた。学閥の弊なお盛んなる時、その本城赤門に学びながらも、氏には少しもその臭味がなかった。」
「かれは天性の素質と燃ゆるがごとき熱とでもって、当る者を焼き尽さずんば止まなかった。」
中央公論社・回顧50年に「滝田樗陰の登場」
と、多くの文人を輩出し傑作を生み出し、『中央公論』を文壇の登竜門とよばれるようにした滝田樗陰の功績を記しています。
名編集者・滝田樗陰が発掘した宇野千代。
たまたま自分が紹介した尾崎士郎と千代が三度目の結婚と離婚し激動の人生を歩みつつ、日本を代表する女性作家へと羽ばたいていくことを知ったら、どんなふうに思ったでしょう。
最後に
ドラマでは、滝田樗陰をモデルにしたと推測されるのが、日本屈指の文芸雑誌「首都公論」を率いる編集長・黒崎大三郎(遠藤憲一)です。
遠藤憲一さんのコメントには
黒崎はよく食いよく笑い、一見生き急いでいるような雑な人間に見えます。しかし心の奥底に人の才能を見抜くずば抜けた鋭いエネルギーを持っています。(NHK朝ドラ「ブラッサム」公式「X」)
ドラマでの珠との出会いは、フランス料理店。その後、珠の中に眠っている小説家の才能をどう引き出していく様子が描かれるのか、楽しみですね。
『ブラッサム』に関する話題は、こちらの記事でも紹介しています。ぜひご覧ください。
『ブラッサム』珠が働く「悠楽軒」は本当にあった!わずか18日のバイトで芥川龍之介らと交差した運命の場所
朝ドラ『ブラッサム』元夫の弟と同棲&4度の結婚!ヒロイン葉野珠(石橋静香)のモデル・宇野千代の生涯【前編】
参考:
・「生きて行く私」宇野千代 (角川文庫)
・秋田県立 秋田高等学校 同窓会
・「おいでませ山口へ」作家・宇野千代とは?波乱万丈な生涯と故郷・岩国で育まれた人生観
・『滝田樗陰――「中央公論」名編集者の生涯』(杉森久英著、中公文庫)
・JapanKnowledge「滝田樗陰とは」
・中央公論社・回顧50年に「滝田樗陰の登場」

