朝ドラ『ブラッサム』元夫の弟と同棲&3度の結婚!ヒロイン葉野珠(石橋静香)のモデル・宇野千代の生涯【前編】
令和8年(2026年)後期の朝ドラ(連続テレビ小説)第115作目「ブラッサム」が、2026年9月28日(月)から放送開始されました。
石橋静香さんが演じるヒロイン・葉野珠(はの・たま)のモデルとなっているのが、明治から昭和を生きた作家・宇野千代(うの・ちよ)です。
千代は山口県岩国に誕生。幼くして実母を結核で失い、一時期は父方の実家で養育されます。
養母の愛情に支えられた子供時代を送りますが、やがて最初の結婚に失敗。小学校の代用教員を経て文壇デビューを飾りました。
女性の社会進出が珍しい時代、千代は果敢に新たな分野に挑戦します。
小説家として活動するだけでなく、実生活ではさらに3度の結婚を経験。雑誌『スタイル』の編集や発行や会社経営、着物のデザインをを行うなど、仕事の幅を文壇の外にも広げていきます。
千代は何を思い、何を目指し、誰と関わって生きたのか。
宇野千代の前半生について見ていきましょう。
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千代が見つめた家族の形と、岩国の代用教員から文壇へ
明治30(1897)年11月28日、宇野千代は山口県玖珂郡横山村で生を受けました。父は宇野俊次、母はトモです。
明治32(1899)年、千代が2歳のとき、実母のトモは結核で急逝。このため千代は父方の宇野家に一時引き取られ、養育されています。
父・俊次は佐伯リュウと再婚。やがて千代もリュウによって育てられ、のちに生まれる弟妹たちともに育っていきました。
千代は継母・リュウを実母と思い込んで育ち、リュウも千代を可愛がって育てたようです。リュウは美味しいものはまず千代に与え、風呂も最初に入らせるなど、細かい点で気を使っていました。
一方、父・俊次は生業に就かずに遊び呆けていたようです。馬を何頭も飼って競馬に出したり、博打も好むなど、遊興に耽っていました。
そのため、宇野家の実家から仕送りを受けていたようです。
明治43(1911)年、千代は岩国高等女学校に進学します。
第四学年の成績は全教科の平均点が92点という好成績を収め、校友会雑誌に作文が複数回掲載されるなど才能を発揮します。まだ満年齢で13歳の千代は、どんな将来を思い描いていたのでしょうか。
しかしここで、千代はある運命の分かれ道を迎えました。
父・俊次が藤村カツ(実母・トモの姉。千代にとっては伯母)の長男・藤村亮一(千代にとっては従兄)と結婚するように命じたのです。
千代はこのとき、養母・リュウが自分と血が繋がっていないことを初めて知って衝撃を受けました。
翌明治44(1912)年11月、千代は父の命を受け入れて従兄の藤村亮一と結婚。しかし10日ほどで実家に帰る道を選びました。
千代は婚家の雰囲気に馴染めず、藤村も女通いをしていたようです。
大正2(1913)年には父・俊次が病没。一家の暮らしは、長女である千代の双肩に重くのしかかっていくこととなります。
翌大正3(1914)年3月、千代は岩国高等女学校を卒業。すぐに川下村尋常小学校の代用教員となって働き始めます。
教員生活の中で、仲間たちとともに回覧雑誌『海鳥』を作るなど、文学に対する情熱の芽が見えていました。
やがて千代は同僚の教師・佐伯正夫と恋愛関係に発展。恋文を学校の生徒たちに見せるという大胆な行動に出ました。
大正4(1915)年、この職場恋愛が問題となって千代は代用教員を免職。すぐさま岩国を出奔し、女学校時代の綴り方の女性教師を頼って朝鮮半島の京城へと渡ります。
京城では家庭教師や雑誌社社長宅の子守りで生計を維持。渡航開始3ヶ月後に、岩国にいる佐伯政夫から絶縁城が届くこととなります。
大正5(1916)年、千代は帰国。佐伯正夫を訪ねますが拒絶されてしまいました。

