『豊臣兄弟!』秀吉(池松壮亮)の大坂城は地下7mに眠っている!徳川が封印した“漆黒の巨城”の真の姿
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』も、残すところ約2か月。いよいよ物語も大詰めに入ってきました。
紀州征伐を経て大和郡山城を居城とし、紀伊・大和の統治に励む秀長(仲野太賀)。一方、秀吉(池松壮亮)は、大坂城を拠点に天下人へと突き進んでいきます。
今回は、秀吉の天下統一のシンボルともいうべき、豊臣時代の大坂城について考察していきます。
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徳川大坂城の地下に眠る、秀吉が築いた黒漆塗りの天守
豊臣秀吉は、山崎の戦いで明智光秀(要潤)を破った翌年の1583年(天正11年)から、大坂の石山本願寺跡に新たな城郭を築き始めます。
この城こそが、天下人・秀吉の象徴ともいうべき大坂城でした。
現在、国の特別史跡に指定される大坂城。そこには、立派な天守が聳え立ち、深い堀と高石垣に囲まれた堅固な姿は、天下統一を果たした秀吉に相応しい威容を誇示しています。
しかしいまの大坂城は、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡したのちに、江戸幕府が西国の諸大名に命じて新たにつくった城なのです。
二代将軍・徳川秀忠は、豊臣氏の大坂城のうえに大量の土を盛り、石垣を築いて新たな大坂城を築城しました。つまり、豊臣時代の大坂城は、現在の大坂城の地下に埋まっていることになります。
これは、豊臣氏の痕跡を消し去り、そのうえに大規模な修築を施した新たな大坂城を築くことで、豊臣に代わる新たな新体制の象徴としたとも考えられるのです。
大坂城の現在の天守は、1931年(昭和6年)に復興した建築物。徳川時代の天守台のうえに、豊臣時代の天守をイメージして造られたとされますが、秀吉が築いた天守とは印象が大きく異なります。
皆さんは、『豊臣兄弟!』第41話「家康の野望」のラストシーン、秀吉と秀長が天守の最上階から空を見上げ、語り合う場面を覚えていますでしょうか。
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そこには、黒色の外観の天守が描かれていました。そうです、本来の大坂城天守は、『大坂冬の陣図屏風模本』や『大坂夏の陣図屏風』などの絵画史料からわかるように、黒漆塗りの下見板張り(したみいたばり)であったのです。
ところが、いま見られる復興天守の外観は白色。これは、徳川期の大坂城の櫓や門が白漆喰総塗り籠めの外観であったため、それに合わせたというのが実状のようです。
ちなみに豊臣時代の天守は、現在の天守の東側に建っていました。そこに外観五階層、飾り瓦の装飾に黄金をふんだんに使った贅の限りを尽くした黒色の天守が聳えていたのです。





