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【ブラッサム】23歳で一軒家購入もわずか2年の札幌生活!珠のモデル・宇野千代に起きた運命の転機

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2026/11/05

仕立てで貯めたお金を『頼母子講義』に投資

実際に、宇野千代が「仕立屋の姐さん」としてどれくらいの賃金を稼げていたのかはわかりません。

大正時代の仕立て賃金の目安では、「男性」の場合ですが…

洋服裁縫は2円70銭、和服仕立ては2円50銭(大正13年/1日辺り/男性の場合)
(札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ「札幌市民の生活」)

自宅での個人の請負となると、工場勤務よりも安くなる可能性もあるそうです。

けれど、宇野千代の腕前に対する評判はよく、売れっ子だったそうなので、ある程度の収入にはなっていたのかもしれません。

『生きていく私』の中には、ある日、伯母がみせてくれた「13年も履いた足袋」が、丁寧に洗濯されて繕われ、大切に扱われていることに感銘を受けた…というエピソードが描かれています。

そんな伯母に影響され、請け負った仕立てものを丁寧にひと針ひと針大切に縫ったのでしょうか。

“手縫いで何かを縫う”という作業は、やっているうちに集中して無心になるものです。

チクチクと、ひと針ひと針進むうちに、大切な存在を失って空洞ができた心の穴を繕っていく……そんな、気持ちになったのかもしれません。

一概にはいえないものの、大正10年(1921)頃の当時の一円は、現在の約700円ほど〜約5,000円ほどと推測されるそうです。

宇野千代は、その仕立ての手間賃を貯めて、大家に勧められた『頼母子講』に入ることにしました。

『頼母子講』とは?

『頼母子講(たのもしこう)』という言葉は、現代では聞きなれない言葉でしょう。

「頼み申す」「田の実」から誕生した言葉と言われています。

簡単にいうと、“仲間同士で定期的に掛け金を出し合い、くじや入札で選ばれた人がまとまった給付金を受け取る”……という、民間の相互扶助(互助)金融組織のようなシステムです。

鎌倉時代に起源があり、江戸時代に普及し、明治・大正期にも広く行われました。

大正4年(1915)には「営業無尽」を規制する無尽業法が制定されたものの、近所・職場などでの非営業の講は続いたそうです。

大正期の札幌でも、近所の人々が少しずつお金を積み立て、半年に一度など定期的に1人が受け取る形の地域ネットワークとして機能していました。

頼母子講に参加することで、お金だけではなく、生活の中で人と人の繋がりや信頼関係が生まれたり仲良くなったりするのもメリットだったそうです。

いきなり東京から移住してきた宇野千代が、ご近所に溶け込むコミュニケーションの場としても機能したのではないでしょうか。

頼母子講は、地域によって「無尽(むじん)」「無尽講」(関東など)、「頼母子」「頼母子講」(関西など)、「模合(もあい)」(沖縄など)と呼び方が異なるようです。

3ページ目 「頼母子講」のくじで当選したお金で家を購入

 

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