『豊臣兄弟!』に初登場!松岡広大が演じる吉川平助とは?豊臣兄弟の絆を引き裂く不祥事と非業の末路:3ページ目
平助の子孫たちはどうなった?
かくして刑場の露と消えた吉川平助ですが、彼には全く同じ吉川平助という息子がいたそうです。
子平助は父平助の罪には連座することなく、秀長そして羽柴秀保(ひでやす。秀長の婿養子で姉ともの三男)に仕え続けました。
それが見殺しにしてしまった、父平助に対する罪滅ぼしだったのかもしれません。
しかし天正19年(1591年)に秀長が世を去り、文禄4年(1595年)に秀保も世を去ってしまうと、子平助は牢人となります。
他の秀長遺臣たちは、多くが秀吉の直臣に取り立てられる中、罪人の子である平助は見放されてしまったのでした。
そんな平助には吉川庄兵衛(しょうべえ)という息子がいましたが、豊臣政権下における前途を悲観したのか、武士を辞めて商人となります。
また庄兵衛の息子である吉川庄太夫(しょうだゆう。松屋庄太夫)は京都へ上り、三条通菱屋町に松屋の屋号で商家を構えたのでした。
終わりに
今回は秀長に仕えて紀伊国を統治し、私服を肥やした挙げ句に不正がバレて処刑された吉川平助について、その生涯をたどってきました。
とかく守銭奴で知られた秀長にとっては、これほど好都合な家臣もいなかったことでしょう。
しかし不正が発覚したことで、慌ててトカゲの尻尾切りで処刑したものの、秀吉の目はごまかせなかったようです。
果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、吉川平介の末路や犯行動機、そして秀長の態度をどのように描くのでしょうか。
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※参考文献:
- 小山靖憲ら編『和歌山県の歴史』山川出版社、2004年7月
- 柴裕之 編『シリーズ・織豊大名の研究 14 豊臣秀長』戎光祥出版、2024年11月
- 新人物往来社 編『豊臣秀長のすべて』新人物往来社、1996年7月

