教科書と違う!江戸時代の田沼意次「賄賂伝説」の嘘と、水野忠邦が「大奥」を敵に回した本当の理由
田沼批判の真相
江戸時代の政治家・田沼意次といえば賄賂政治の象徴のように語られることが多いですが、実際にはそのイメージはかなり誇張されています。
例えば「田沼が受け取った賄賂が日本の年間産米量を超えた年がある」という話もありますが、そんなのは実現不可能です。
数字そのものが誇張であり、失脚した人物が悪く語られる典型例といえます。
もし本当に巨額の賄賂を受けていたなら、田沼家の相良藩が貧乏藩のまま放置されるはずがありません。田沼家の生活は質素で、収賄の痕跡は見られませんでした。
田沼が倒れた最大の理由は、莫大な費用を投じた印旛沼干拓が未完成に終わったことで、これが批判の引き金になったのです。
そもそも田沼意次は、最初から幕閣内では浮いた存在でした。老中は井伊家や堀田家など特定の家が担うのが慣例でしたが、彼はそうした慣例から外れていたためです。
そのため、もともと反対田沼派は、彼を引きずり下ろすチャンスを伺っていました。
印旛沼干拓の失敗は、そんな反田沼派にとって格好の攻撃材料だったのです。
実際には、田沼の政治には商業振興など先進的な面もありましたが、幕閣内での保守的な身分秩序の壁を越えることはできなかったのです。

