教科書と違う!江戸時代の田沼意次「賄賂伝説」の嘘と、水野忠邦が「大奥」を敵に回した本当の理由:2ページ目
水野忠邦と大奥
一方、天保の改革で有名な水野忠邦もまた、身分と役職の不均衡に苦しんだ人物でした。
彼が家督を継いだ唐津藩は、すでに先代の頃から赤字財政状態。その後、浜松藩へ移封されましたが、この移転費用なども重なり財政状態は悪化。常に深刻な窮乏状態にありました。
さらに水野は天保の改革を進める中で、大奥への贈り物を一切行わず、大奥の大規模な整理まで企てます。
これに大奥勢力が猛反発し、水野は女性たちの強い怨嗟を買うことになりました。
江戸政治では大奥の支持を得ることが権力維持の必須条件であり、ここを敵に回した老中は例外なく失脚しています。
逆に柳沢吉保のように大奥政策に力を入れた者は出世しました。水野はこの政治構造を軽視し、結果として自らの立場を危うくしてしまったのです。
水野の政治は理想主義的で、改革の方向性そのものは理解できる部分もあります。しかし既得権層との調整を軽視したため、改革は軋みを生み、本人の立場を追い詰める結果となりました。
