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「どうする家康」三成の挙兵と茶々の陰謀、そして高笑う神の君…第41回放送「逆襲の三成」振り返り:5ページ目
治部の三男坊・石田佐吉について
劇中、大谷吉継(忍成修吾)が家康の元へ参陣させると言っていた「治部の三男坊」。セリフだけの登場でしたが、治部(石田三成)の三男坊と言えば、石田佐吉でしょうか。
石田佐吉は生没年不詳。関ヶ原の合戦に敗れ、三成の本拠地であった近江佐和山城が陥落した際に捕らわれますが、津田清幽の助命嘆願によって一命を救われます。
家康に助けられた佐吉は出家して深長坊清幽と号し、のち寛永年間に薬王寺の住職となりました。
……が、これはドラマのストーリー的に何か関係があるのでしょうか。恐らくこのまま名前だけでフェイドアウトしていくものと思われます。
大谷吉継の覆面について
病によって顔面の皮膚がただれてしまい、覆面をするようになった大谷吉継。
白い布で顔を隠した、才気あふれる名将
大谷吉継 おおたに・よしつぐ
[忍成修吾 おしなりしゅうご]
豊臣家家臣、越前敦賀を治める大名。人望厚く、秀吉、家康からも頼りにされる切れ者。友人・石田三成と家康が対立を深める中、大病から復帰した吉継の決断が、形勢を大きく変える。※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(登場人物)より
白い布って、頭巾とか覆面などの表現とは違った味わいがありますね。
それはそうと、白い頭巾から髷が出ていましたが、吉継はこの頃出家していたような気がします。
あと、吉継は目を患っていたそうなので、その辺りも演技に取り込んで欲しかったですね。
ところでいきなり三成が吉継の茶をあおり呑んで「うつして治る病気なら、私にうつせ!」と言っていましたが、あれには一応元ネタがあります。
茶会の席で彼が飲んだ茶を、次席の者が忌避していたところを、三成だけは気にせず飲んだことから二人は親友になったとか。
※ただしこのエピソードは明治時代になってから創作されたと考えられています。
また、お茶請けに干柿が置いてあったのは末期にも「そのネタ」をやる伏線でしょうか。
有名なエピソードですが、ただ出しておけばよい(視聴者が勝手に解釈してくれる)というものではないと思います。もしかしたら、別に深い意味はないのかも知れませんが。
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