手洗いをしっかりしよう!Japaaan

鬼平・長谷川平蔵が奉行になれなかった理由。時の老中との微妙な関係が平蔵の運命を分けた【後編】

鬼平・長谷川平蔵が奉行になれなかった理由。時の老中との微妙な関係が平蔵の運命を分けた【後編】

出世できなかった「今大岡」

【前編】では、長谷川平蔵が時の老中・田沼意次に引き立てられて出世し、その後は松平定信から解任と再任をされていたことを解説しました。

鬼平・長谷川平蔵が奉行になれなかった理由。時の老中との微妙な関係が平蔵の運命を分けた【前編】

NHK大河ドラマ『べらぼう』に登場し、池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』でも有名な長谷川平蔵。[insert_post id=240789]彼が火付盗賊改の長官に就任したのは、時の老中・田沼意…

【後編】では、その実態について見ていきましょう。

こうした史実に基づき、池波正太郎の『鬼平犯科帳』では、平蔵の働きぶりが他に代えがたいため、いったんは休養を採る意味で解任されたものの、すぐに再任されたというストーリーになっています。

実際、平蔵の働きぶりは江戸の庶民からも称賛されていました。当時の社会風俗が記されている『わすれのこり』には、平蔵の活躍について「賞罰正しく、慈悲心深い。幾知に富んだ裁きが多く、人々は今大岡(現代の大岡越前)と呼んだ」とあります。

しかしここで疑問が残ります。それほどの働きぶりで、彼はなぜ奉行職に就けなかったのでしょうか。

そもそも、当時の火付盗賊改は臨時の兼任職であり、通常なら2〜3年で交代するものでした。この任を全うした者はその後、京都や大坂の町奉行や、奈良や堺の奉行に栄転するのが通例だったのです。

そうした通例に照らし合わせると、いくら働きぶりが目覚ましく他に代えがたいと言っても、平蔵が約10年も火付盗賊改を続けたのはちょっと異常です。

その理由は老中・松平定信にありました。実は、平蔵は定信から嫌われていたため出世できなかったというのが本当のところだったのです。

2ページ目 潔癖ゆえの嫌悪感

 

RELATED 関連する記事