
古代日本最大の謎!邪馬台国の所在論争「畿内説」か「九州説」か?の現在を学説を交え解説
邪馬台国論争
邪馬台国の所在論争のメインは「畿内説」と「九州説」の両説で、論争が繰り広げられてきました。
※関連記事↓
邪馬台国の場所「九州説vs畿内説」はもう古い?邪馬台国と倭の情勢を国際関係から読み解く【前編】
九州説vs畿内説『魏志倭人伝』に登場する邪馬台国については長らく議論が交わされ続けており、学界はもちろんアマチュア考古学者や古代史ファンに至るまで、多くの人々の好奇心をとらえ続けています。…
邪馬台国は、中国・魏(220~265年)の歴史書「魏志倭人伝」に登場します。男子を王としたものの、倭国は70~80年にわたって乱れました。そこで人々は共に一人の女子を立てて王にしました。女王・卑弥呼の誕生です。
邪馬台国は「女王の都する所」と説明されます。魏志倭人伝で邪馬台国の文字が出てくるのはこの一か所だけです。その位置についても、他国からの方角や距離が大まかに示されているだけで、特定はできません。
この問題については教科書などでも長く、畿内・九州の両論が併記されてきました。