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古代日本最大の謎!邪馬台国の所在論争「畿内説」か「九州説」か?の現在を学説を交え解説

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筑紫平野には邪馬台国連合があったか

対する「九州説」では、福岡県南部から佐賀県南部に広がる筑紫平野の複数の環濠集落が連携し、「邪馬台国連合」を形成したとの説が近年、注目を集めています。

魏志倭人伝には、邪馬台国が強権的な征服活動を行った記述はなく、複数の国が卑弥呼を「共立」したとする記述と発掘成果を照らし合わせたのです。

筑紫平野の各環濠遺跡では鉄や朱、青銅器を一か所で独占して製造していなかったようで、分担製造し、供給しあった様子がうかがえます。

また平野を望む高台に複数の監視集落の跡もあり、共同で外敵の進入を防いだ姿も見て取れます。

筑紫平野にできた邪馬台国連合は卑弥呼の死後に衰退しており、3世紀後半以降にこの地に前方後円墳が築かれていることから、近畿のヤマト王権の影響下に入ったと考える研究者もいます。

魏志倭人伝の「七万余戸」という記述からすると、北部九州説は「スケールが小さい」との反論もありますが、各遺跡の成果を総合すれば、纒向をしのぐ内容を持っているともいわれています。

卑弥呼が魏から与えられた金印などの決定打はなく、結論はいまだ出ませんが、近畿・九州双方の地道な発掘成果が議論の深化につながっていることは間違いありません。

参考資料:
中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史 最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社 (2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia

 

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