古代日本最大の謎!邪馬台国の所在論争「畿内説」か「九州説」か?の現在を学説を交え解説:2ページ目
畿内説の現在
しかし近年、考古学の成果から「畿内説」が有力と踏み込む記述も見られます。その根拠は、我が国の国家形成過程を探る鍵を握る「纏向遺跡」(奈良県桜井市)の発掘成果です。
纏向遺跡は、3世紀初頭の大和地方(奈良盆地)に突然出現した集落遺跡です。
九州や関東の土器が多数出土し、高度な鉄器生産の痕跡、中国の神仙思想で不老長寿の象徴とされる桃の種も見つかりました。居館全域の推定面積は約1万5000平方メートルで、列島最大規模です。
纒向遺跡で出現した特徴的な前方後円墳が全国に見られるのも強みで、この地の最大の前方後円墳「箸墓古墳」を卑弥呼の墓と主張する研究者もいます。
箸墓古墳は”卑弥呼の墓”で決まりか?日本最大・最古クラスの古墳の秘密に最新学説が迫る【前編】
箸墓古墳の特徴古代の大きな墳丘を持つ墓を古墳といい、古墳が築かれた時代を古墳時代と呼びます。古墳は全国各地で築かれましたが、なかでも奈良県桜井市には多くの古墳が集まっています。その桜井市の…
魏志倭人伝によると、卑弥呼は九州に一大率(出先機関)を置き、物資の流通も盛んになりました。政治的に傑出したその姿は、纒向遺跡の発掘成果と呼応するといえるでしょう。
研究者の中には、纏向は『ヤマト王権』と呼ばれる、九州から東北まで射程に入れた倭国の政治の中枢であり、倭国の女王である卑弥呼がいた邪馬台国もこの地と考えることが論理的だと考える人もいます。

