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斎藤竜興から信長に寝返り!『豊臣兄弟!』に登場の“美濃三人衆”が辿ったそれぞれの末路

斎藤竜興から信長に寝返り!『豊臣兄弟!』に登場の“美濃三人衆”が辿ったそれぞれの末路

美濃の斎藤氏を滅ぼしたのは織田信長だけではありません。

斎藤道三(麿赤兒)・義龍(DAIGO)・竜興(濱田龍臣)に三代で仕えた家臣団「美濃三人衆」が、最後に下した決断が流れを決めました。

忠義か、生き残りか、それとも誇りか。
美濃三人衆の安藤守就(田中哲司)・稲葉良通(嶋尾康史)・氏家直元(河内大和)は、いったい何を選んだのか――今回はその生涯を追います。

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を楽しむ参考になれば幸いです。

安藤守就(あんどう もりなり)

文亀3年(1503年)生~天正10年(1582年)6月8日没

美濃国北方城(岐阜県北方町)の城主で、元は美濃国守護の土岐頼芸(とき よりのり)に仕えました。

やがて斎藤道三が美濃国を乗っ取るとこれに鞍替えし、以降斎藤家三代に仕えます。しかし竜興が一部の寵臣だけで独裁政治を行い、自分たちを排除したため、娘婿の竹中半兵衛(菅田将暉)と一計を案じました。

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わずかな手勢で稲葉山城(岐阜城)を乗っ取り、竜興を追い払ってしまったのです。しかし間もなく奪還され、再び竜興に仕えます。

やがて永禄10年(1567年)に織田信長(小栗旬)の調略に応じて寝返り、その後戦歴を重ねました。

しかし天正8年(1580年)に信長から謀叛の疑いをかけられ。北方城を没収の上追放されてしまいます。

恨みを募らせていたところ、天正10年(1582年)6月2日に信長が横死(本能寺の変)。織田政権の混乱に乗じて北方城を奪還しようと挙兵したところ、北方城を与えられていたかつての盟友・稲葉良通に攻め滅ぼされてしまいました。享年80歳。

2ページ目 稲葉良通(いなば よしみち)

 

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