『豊臣兄弟!』史実ベースで本能寺の変「織田信澄黒幕説はアリか?」を考察!光秀の婿に残された疑惑
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第25回放送「信長を笑わせろ!」では、信長(小栗旬)から謀叛の疑いをかけられた織田信澄(緒形敦)を赦してもらうよう、小一郎(仲野太賀)と秀吉(池松壮亮)が決死の覚悟?で接待コントを繰り広げていました。
何やかんやあって信長は信澄を赦したものの、当の信澄は謀叛を企んでいたようで、舅の明智光秀(要潤)に真意を打ち明けています。
これまで足利義昭(尾上右近)黒幕説がほのめかされてきた本能寺の変について、まさかの「信澄黒幕説」がぶち上げられたのでした。
果たしてこの「信澄黒幕説」はアリなのか?考察して参りましょう。
流石に無理があるかと……。
信澄は、かつて信長に謀叛を起こし、誅殺された実弟の織田信勝(中澤元紀)の嫡男でした。
本来ならば処刑されてもおかしくない立場ながら、柴田勝家(山口馬木也)や磯野員昌(いその かずまさ)の養子として、織田家中で相応の地位を保障されます。
天正9年(1581年)の京都御馬揃では御連枝(織田一族)の5番目に列しており、これは織田信包(のぶかね。信長弟)や織田信孝(結木滉星)と同格の扱いでした。
信長政権において冷遇されていた訳でもないため、積極的に謀叛を起こすメリットがほとんどありません。
もし「どうしても父信勝の仇を討ちたい!」と言うなら、信長を討つ機会はいくらかありました。
例えば天正9年(1581年)の伊賀攻め後や、天正10年(1582年)の甲州征伐などで、信澄は信長の近くで仕えています。
もし信澄に翻意があるなら、少なくとも本能寺の変よりは信長を討つ好機でした。
「いや、信澄は自身の安全を確保しつつ、確実に信長を討ちたかったはず。だから光秀をそそのかして信長を討たせたのだ!」
仮にそう主張しても、やはり信澄は本能寺の黒幕とはならなかった(なり得なかった)でしょう。
