
軍部暴走の元凶、稀代の戦略家…日本陸軍のカリスマ軍人・石原莞爾とは何者だったのか?
「最終戦争」を提唱したカリスマ
山形県出身の陸軍軍人・石原莞爾(いしわら・かんじ)の生涯についてみていきましょう。
1889年、山形県に生まれた石原は陸軍軍人の道を歩み、陸軍歩兵少尉として歩兵第六五連隊に配属されました。
陸軍士官学校時代の成績は優秀だったが、傲岸無礼な言動も目立ったといいます。上官に対して自分の意見を大声で直言し、二・二六事件の際には大将の荒木貞夫を厳しく怒鳴りつけています。
そんな調子の石原を嫌う者は多かったようですが、崇拝する者もまた少なくなかったとか。まさにカリスマ的存在だったといえるでしょう。
陸軍大学校の卒業後はドイツに出張し、軍事や戦史の研究に没頭。また、日蓮宗の熱心な信者になり、独自の戦争史観が確立されていきました。
帰国後は陸軍大学校の教官として「世界最終戦争論」を講義しています。
この「世界最終戦争論」はどんなものかというと、戦争を「決戦戦争」と「持久戦争」に大別し、近代戦は持久戦争だとみなすものでした。
世界はヨーロッパ、ソ連、日本を中心とする東亜、アメリカの構図になり、東亜連盟とアメリカの決戦(最終戦争)を制した国を中心に世界がまとまると考えていたのです。
そして、決戦に勝利するためには満洲や蒙古を領有し、これらの地域にある資源を活用して国力を高めることが必要だと説きました。