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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」ダーン!茶々(北川景子)に心を射抜かれた神の君(松本潤)は……第36回放送「於愛日記」振り返り

「どうする家康」ダーン!茶々(北川景子)に心を射抜かれた神の君(松本潤)は……第36回放送「於愛日記」振り返り:3ページ目

まさかの設定・千代は馬場の娘だった?

望月千代は長篠合戦で討死した馬場信春(未登場)の娘だった!?この新解釈に驚いた視聴者は多いのではないでしょうか。

このエピソードの元ネタは『名将言行録』。家康の命で捜索していた馬場の娘をこっそり自分の側室にしてしまい、それを知った家康は感心するやら呆れるやら……。

……武田氏亡て後、家康馬場信房が娘、去る所に隠くれ居るを聞き、元忠に命じて捜索せしむるに、見えざる由申して止みぬ。其後先きに隠れ居ると申しゝ者、重ねて家康前へ出し時、又候此事尋ねられしに、其者膝近く匍匐寄りて、真とは其娘元忠が方に往着きて、今は本妻の如くにてあると申せば、あの彦右衛門と曰ふ男子は、年若きより何事にもぬからぬ奴なりと、高聲にて笑はれしとぞ……

※『名将言行録』巻之五十一 鳥居元忠

「まったく、昔からちゃっかりしておったからのぅ……」

本当は自分の側室にしたかったが、これは一本とられたわい。豪快に笑って許す家康像は、今も人々に愛されています。

さて。話を大河ドラマに戻すと、千代は馬場家に生まれて望月家に嫁ぎ、夫が討死した後で歩き巫女≒忍びになった……という設定のようです。

が、ここで生じる疑問がいくつか。

(1)馬場信春は武田家中でもトップクラスの重臣。その娘に忍び働きをさせて、父親は怒らなかったのか?

(2)父親や親類縁者の反対を押し切って忍びを志願しても、忍びの師匠?が父親を恐れて受け入れないと思われる。誰が彼女に忍術を教えたのか?

(3)伝承によると、夫の討死は第四次川中島の合戦があった永禄4年(1561年)。三河一向一揆の勃発した永禄6年(1563年)まで2年という短期間で、諜報員として実戦投入可能なレベルにまで忍術を習得できたのか?

これだけでも、設定に無理がありますが、まぁそんな事を言っても始まりません。ともあれ馬場の娘(千代)は元忠との間に、一女三男をもうけたのでした。

  • 女子(戸沢政盛室)
  • 鳥居忠勝(鳥居家家臣、のち徳川頼房に仕える)
  • 鳥居忠頼(別家を興す)
  • 鳥居忠昌(鳥居家家臣)

恐らく彼女は関ヶ原の前哨戦・伏見城の合戦で元忠と共に最期を遂げるものと予想されます。

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