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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」ダーン!茶々(北川景子)に心を射抜かれた神の君(松本潤)は……第36回放送「於愛日記」振り返り

「どうする家康」ダーン!茶々(北川景子)に心を射抜かれた神の君(松本潤)は……第36回放送「於愛日記」振り返り

一発の銃声と共に颯爽と現れた茶々(北川景子)。亡きお市(北川景子)と生き写しの顔貌に「我らが神の君」徳川家康(松本潤)は心を射抜かれてしまったようです。

「お、お市様……?」

「ダーン!」

冗談で銃口を人に向けるという狂気、溺愛ゆえにそれを止めもしない豊臣秀吉(ムロツヨシ)の暴走ぶりが伝わるワンシーンでした。

さて、NHK大河ドラマ「どうする家康」第36回放送は「於愛日記」。傷心の家康を笑顔で癒し続けてきた於愛(広瀬アリス)が病のためナレ死してしまいます。

武田の残党・望月千代(古川琴音)とそれを匿う鳥居元忠(音尾琢真)。二人の恋を守るため、稲姫(鳴海唯)が真田への輿入れを決意。

これで北条氏政(駿河太郎)が上洛(使者の派遣)を決意、北条と豊臣の戦が避けられたと喜んだのも束の間。代理の北条氏規(氏政の兄)では気に入らないと秀吉が北条討伐に乗り出すのでした。

豊臣と北条の板挟みになってしまって「どうする家康」……という訳で、今週も張り切って振り返りと参りましょう!

於愛の先夫・西郷義勝(飯作雄太郎)とは

いきなり語られる於愛の過去。

「では、行って参る」

先夫の西郷義勝は元亀2年(1571年)3月4日、武田勢との合戦(竹広の戦い)で討死してしまいました。

この時、於愛は後を追って自害しようと考えますが、一女一男の子供たちを思って踏みとどまります。

……ドラマではそういう設定でしたが、史料上特にそのような描写は見当たりません。

西郷義勝の演者さんもこんなにアッサリ退場するとは思わなかったでしょうね。せっかく大河ドラマに出演できたのに……。

それはともかくとして、この西郷義勝とは何者なのか、『寛政重脩諸家譜』の記述を読んでみましょう。

●義勝

孫太郎 右京進 母は某氏。

父祖討死のとき、義勝いとけなしといへども、叔父清員がこふにより正勝が遺跡を継西郷に住す。文亀(原文ママ。元亀)二年三月四日竹廣の戦に清員等と共に防戦して討死す。法名義勝。 妻は諏訪部出羽守定久が女、後妻は蓑笠之助正尚が養女。

※『寛政重脩諸家譜』巻三百六十九 清和源氏(支流)西郷

西郷義勝は生年不詳、まだ幼かった永禄4年(1561年)に父の西郷元正が討死すると、叔父・西郷清員の後見で家督を継ぎました。

通称は孫太郎、官職の右京進は自称(正式任官ではなく、主君が私的に認めたもの)と考えられます。

妻は諏訪部出羽守定久の娘。於愛(蓑正尚の養女)は後妻のようです。どちらが産んだのか一女一男(西郷家員室、西郷勝忠)を授かりますが、先の通り討死してしまいました。

嫡男の勝忠はまだ1歳(当年誕生)と幼すぎて家督を継げず、姉が一族の西郷家員を婿にとって家督を継がせています。

……という経緯があって、於愛は天正6年(1578年)に家康の側室となったのでした。

勝忠 孫兵衛

紀伊大納言頼宣卿につかふ。

※『寛政重脩諸家譜』巻三百六十九 清和源氏(支流)西郷

なお、西郷勝忠(孫兵衛)は成長して徳川頼宣(家康の十男、紀州徳川家の祖)に仕えたと言うことです。

2ページ目 於愛(西郷局)の生涯を振り返る

 

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