『豊臣兄弟!』小一郎の5万の大軍に徹底抗戦!切腹覚悟で長宗我部元親に降伏を迫った武将・谷忠澄の生涯
大河ドラマ「豊臣兄弟!」皆さんも楽しんでいますか?報道によると堀部圭亮が谷忠澄(たに ただずみ)を演じるそうです。
果たしてどんな武将なのでしょうか。今回は大河ドラマを楽しむ予習として、谷忠澄の生涯をたどってみたいと思います。
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秀長(小一郎)が四国に攻めてきた!
谷忠澄は天文3年(1534年)、神職の家に生まれました。
やがて家業を継いで土佐国一宮・土佐神社の神主として奉職していたところ、長宗我部元親(磯部寛之)に見出されてその家臣となります。
天正13年(1585年)に羽柴秀吉(池松壮亮)が四国征伐の意向を示すと、元親は忠澄を派遣して以下の条件を提示しました。
一、これまでに征服した讃岐・阿波両国は献上する。
一、その代わり土佐・伊予両国の領有権を認めてほしい。
はじめ秀吉はこの条件で和睦を受け入れますが、間もなくこれを反故にします。
そして同年6月、秀吉は羽柴秀長(小一郎。仲野太賀)を総大将とする四国征伐の兵を繰り出してきました。
必死の抵抗で秀長を悩ませる
忠澄は江村親俊(えむら ちかとし)とともに兵9,000を率い、最前線の阿波一宮城(徳島県徳島市)に立て籠もります。
これに対して秀長は兵50,000の大軍で阿波一宮城を包囲しました。
羽柴方には蜂須賀正勝(高橋努)・藤堂高虎(佳久創)・増田長盛(ました ながもり)・仙石秀久(せんごく ひでひさ)・戸田勝俊(とだ かつとし)・一柳直末(ひとつやなぎ なおすえ)らが勢揃いし、城の東西北と三方から盛んに鉄砲を撃ち込み、猛然と攻めかかります。
しかし城方は士気旺盛、決死の覚悟で抗戦したため、籠城戦は長期化の様相を呈しました。
秀長は力攻めから方針を転換し、水源を奪いつつ坑道を掘ることで、城そのものを揺るがそうとしたのです。
日々足元を揺るがされる不安は大変なものだったようで、忠澄と親俊はついに降伏を決意しました。



