手洗いをしっかりしよう!Japaaan

【豊臣兄弟!】徳川四天王、猛将・本多忠勝(夏生大湖)が“最期に残した言葉”と家康を救った3つの危機

【豊臣兄弟!】徳川四天王、猛将・本多忠勝(夏生大湖)が“最期に残した言葉”と家康を救った3つの危機

「家康に過ぎたるものが二つあり。唐の頭に本多平八」。戦国最強とされた武田軍から、そう称賛された本多忠勝(夏生大湖)

徳川四天王の一人として知られる忠勝は、戦国屈指の猛将として語られてきました。

しかし、その生涯を振り返ってみると、彼のすごさは単に「強かった」だけではなく、徳川家康(松下洸平)が危機に陥るたび、その前に立ちはだかり、主君を逃がすために自らが盾となりました。

今回は、本多忠勝とはいったいどのような武将だったのか紐解いていきましょう。

※関連記事:

【豊臣兄弟!】徳川四天王の背後にいた「徳川十六神将」とは?秀吉を震え上がらせた“陰の最強軍団”

『豊臣兄弟!』第34回「最強のライバル」は、徳川家康(松下洸平)が豊臣(羽柴)家との最初の戦いとなる、小牧・長久手の戦いの序章ともいえる展開でした。羽柴秀吉(池松壮亮)の招きに応じ、後継ぎの長…

「家康に過ぎたるもの」と称された本多忠勝

徳川家康を支えた四人の武将を「徳川四天王」と称します。

『豊臣兄弟!』圧倒的オーラで登場「徳川四天王」最強4人の武功と史実エピソードを一挙紹介

大河ドラマ『豊臣兄弟!』の放送中、圧倒的なオーラと共に画面に現れた彼らの姿に、思わず鳥肌が立った方も多いのではないでしょうか。ネット上でも「痺れるほどかっこいい!」「画面の圧がスゴすぎる」と…

みな武勇に優れた武将たちですが、なかでも本多忠勝は、その代表的な人物と言えるでしょう。

忠勝は1548年(天文17年)、安祥譜代七家の一つである本多忠高の長男として岡崎で生まれ、幼名を鍋之助と言いました。しかし、わずか2歳のときに父・忠高が討死すると、叔父の本多忠真に育てられます。

鍋之助は幼いころから家康に仕え、13歳で元服すると初陣を飾りました。その後、家康の三河平定戦などに従軍し、19歳で家康直属の軍ともいうべき旗本先手役に抜擢されます。

以後も数々の戦場で武功を挙げ、忠勝の名は徳川家中に留まらず、次第に天下へと知られていくことになります。

2ページ目 家康の危機を救った代表的な3つの出来事

 

RELATED 関連する記事