保元の乱の首謀者は超・愛猫家?悪左府、藤原頼長が900年前の日記に残した愛猫への溢れる情熱
歴史上の人物には、後世につくられたイメージと、本人が残した記録との間に、思わぬ落差があることがあります。平安時代末期の公卿、藤原頼長もその一人でしょう。
藤原忠実の次男として生まれ、左大臣にまで昇った頼長。兄・忠通との対立を深め、保元の乱では崇徳上皇方の中心人物となりました。後世には「悪左府(あくさふ)」と呼ばれています。かなり怖そうな人物です。
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ところが、そんな頼長が残した『台記』を読んでいると、意外な一節に目が留まります。それが「猫」です。しかも、ただ猫を飼っていたという話ではありません。少年時代、病気になった愛猫のために千手観音像を描き、回復と長寿を祈願していたのです。そして猫は快復し、願い通り十歳まで生きました。
死んだ後は衣に包み、櫃に納めて葬ったそうです。『台記』には、そんな頼長と一匹の猫の時間が残されています。
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病気になった愛猫のために
『台記』は、保延2年(1136)から久寿2年(1155)まで記された頼長の日記です。朝廷の政務や儀礼、貴族社会の人間関係など、政治史を考えるうえで重要な記事が並びます。一方、本人の身辺に関する話もあり、そこから当時の暮らしを垣間見ることができます。
康治元年(1142)8月6日条には、頼長が幼い頃に飼っていた猫についての回想が登場します。ある日、その猫が病気になりました。
頼長は千手観音像を描き、早く治るように願いました。そして、十歳まで生きられるよう祈ったといいます。この願いが届いたのか、猫は快復。しかも、実際に十歳まで生きました。
後年になっても頼長がこの出来事を覚えていたという事実そのものが興味深いところです。政治や儀式とは無関係な、少年時代の私的な思い出が、日記の一角に残されているのです。
最期には衣に包んで葬った
さらに目を引くのが、その後についての記述です。長生きした猫が死ぬと、頼長は「衣に包み、櫃に入れて葬った」といいます。ここで重要なのは、「だから頼長は心優しい人物だった」と単純に結論づけることではありません。
兄・忠通との対立や保元の乱に至る政治過程を見れば、頼長を一面的な人物として扱うことはできないからです。むしろ、この短い逸話によって、これまで「悪左府」という言葉で括られていた人物の別の輪郭が見えてきます。
政治の場で見せた顔と、私生活で大切にしていたものは、必ずしも同じではなかったのでしょう。



