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保元の乱の首謀者は超・愛猫家?悪左府、藤原頼長が900年前の日記に残した愛猫への溢れる情熱

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宮廷では猫も暮らしていた

平安時代の貴族社会で猫が飼われていたことは、ほかの史料からもわかります。例えば宇多天皇は、日記のなかで自身の飼っていた黒猫について触れています。

また、『枕草子』には、一条天皇のもとで飼われた「命婦のおとど」が登場します。宮廷で飼育され、名前まで与えられていたことからも、人々との距離の近さがうかがえます。

猫には鼠を捕るという実用性もありました。ただ、宮中で名前を付けられ、可愛がられていた存在を考えると、それだけで説明するのは難しそうです。頼長の逸話も、こうした平安貴族と猫との関わりを考える材料になります。

「悪左府」の日記に残った小さな出来事

藤原頼長の人生を大きく分けるなら、摂関家の権力争いと保元の乱が中心になります。父・忠実と兄・忠通との関係。崇徳上皇との結びつき。そして、保元の乱での敗北。歴史の教科書で取り上げられるのも、当然こちらです。

けれど、『台記』を残した本人にとって、日々は政治だけで成り立っていたわけではありません。少年時代に飼った生き物の病を案じたことも、十年近く経った後に振り返ったことも、その人の人生の一部でした。こうした記述に出会うと、歴史上の人物を肩書や事件名だけで理解することの難しさを感じます。

「左大臣」「悪左府」「保元の乱の首謀者」。

どれも頼長を説明する言葉ですが、しかし、それだけでは千手観音像を描いて一匹の猫の回復を願った少年の姿までは見えてきません。古い日記を読む醍醐味は、まさにそこにあります。

大きな事件の陰に埋もれてしまいそうな、小さな出来事。それが一つ残っているだけで、千年近く前の人物が、急に生身の存在として感じられることがあります。

一匹の猫をめぐる記述は、平安時代の暮らしを知る手掛かりであると同時に、頼長という人物を考えるうえでも、なかなか味わい深い一節なのです。

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参考

 

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