『豊臣兄弟!』小一郎の5万の大軍に徹底抗戦!切腹覚悟で長宗我部元親に降伏を迫った武将・谷忠澄の生涯:2ページ目
決死の覚悟で元親に進言
秀長の捕虜となった忠澄は「元親に降伏を説く」条件で解放され、元親の元へ戻って降伏するよう説得します。
しかし元親は降伏を受け入れず、重臣たちもまた忠澄を非難しました。
相手の強大なるを恐れ、一度も戦うことなく膝を屈するとは武士の名折れ。元親は忠澄に対して切腹を申しつけたのです。
しかし忠澄にも考えがありました。確かに意地と誇りのために、命を投げ打つのも悪くないでしょう。しかしそのために犠牲となるのは力無き民草です。
民のかまどを思えばこそ、意地のために無益な血を流すことは避けるべきでしょう。
忠澄の毅然たる態度に感じ入った重臣たちは次第に考えを改め、元親に対して忠澄の助命と降伏を願い出るようになります。
家臣の戦意なくしては最早抗戦もかないません。元親は秀長に対して降伏を申し出て、土佐一国のみを安堵されたのでした。
討死した信親の遺体を返還
羽柴政権下に服属した元親は、秀吉の命令により天正14年(1586年)の九州征伐(島津討伐)に従軍します。
しかし戸次川(へつぎがわ)の合戦で敗走、嫡男の長宗我部信親(元親嫡男。林裕太)が討ち死にしてしまいました。
最愛の嫡男を失った元親は、悲憤のあまり単騎で敵中へ斬り込もうとします。しかし近臣らに制止され、何とか思いとどまりました。
元親は忠澄に対して「島津方へ赴き、信親の遺体を返還してもらうように」命じます。
忠澄は信親を討ち取った新納忠元(にいろ ただもと)の元へ赴くと、忠元は信親の死を惜しんで陳謝しました。
「自分がその場にいたら、決して御嫡男を討たせることはしなかったろう。戦の常であるとは言え、誠に申し訳ないことであった。天地神明に誓って長宗我部殿の心中をお察しする」
かくして信親の遺体は荼毘に付され、その遺骨が元親に返還されたのです。
これ以来、嫡男を失った元親は大いに落胆し、長宗我部氏は大きく力を落としてしまいました。
エピローグ
さて、九州戦線から帰還した忠澄は土佐中村城(高知県四万十市)の城代を務め、慶長4年(1599年)に世を去った元親を見送ります。
そして翌慶長5年(1600年)11月7日、元親の後を追うように土佐中村城で亡くなりました。享年67歳。
今回は長宗我部元親に仕えた谷忠澄の生涯をたどってきました。文武両道に秀でると共に、領民をいたわる慈悲も備えた名将だったようです。
果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、どのように描かれるのでしょうか。堀部圭亮の好演を楽しみにしています。
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※参考文献:
- 『別冊歴史読本 豊臣秀吉合戦総覧』新人物往来社、1996年9月
- 小和田哲男『戦争の日本史15 秀吉の天下統一戦争』吉川弘文館、2006年10月
- 児玉幸多 監修『県史39 高知県の歴史』山川出版社、2001年2月




