- No.145【賛否両論】大河ドラマ『どうする家康』を振り返り見えてきた3つの「どうする」まとめ
- No.144「どうする家康」最後はみんなで海老すくい…最終回放送「神の君へ」振り返り
- No.143【最終回予習】本当に色々(1616年)あったね…徳川家康の死から「神の君」となるまで【どうする家康】
羽柴秀吉の養子になった於義丸(結城秀康)。なぜ彼が選ばれた?【どうする家康】:2ページ目
信康の計らいで父子の再会
……御兄岡崎の三郎殿、如何にもして、父上の見参に入ればやと思召し、於義丸殿三歳の御時、徳川殿岡崎に城に入らせ玉ふこと有りしに、かねて能く教へ参らせ、殿の渡らせ給ふほとりの明障子、引うごかし、父上々々と聞え給ひしに、徳川殿はやく心■させ給ひ、御座を立たせ給ふ所を、三郎殿御袖を扣へたまひ、信康が弟の候を、今日見参に入ればやと宣ふ、深く怨みいきとほり給ふ御気色見えければ、此上は見参無くては事あしかりぬと思召され、徳川殿再ひ御座につかせ玉ふ、三郎殿頓て於義丸殿の御手を引て参り玉ひ、近う渡り給へとありし程に、御膝の上にかきすゑ玉ひしかば、三郎殿歓ばせ給ふこと斜ならず……
※『藩翰譜』第一 越前
そんなこんなで、早二年の歳月が流れました。於義丸を不憫に思う一人、長兄の松平信康(まつだいら のぶやす。岡崎三郎)が二人の再会をコーディネートします。
「何じゃ三郎、たっての用事とは……」
岡崎城へと呼び出された家康。するとそこには、あの於義丸がいるではありませんか。
「げえっ、於義丸!」
「ちちうえー」
無邪気に駆け寄ってくる於義丸。恐らく信康が、あらかじめ仕込んでおいたのでしょう。
「よいか於義丸。今日はそなたの父上に会わせてやるからな」
「はい、あにうえ!」
……とか何とか。時に於義丸は3歳。まさに感動の再会ですが、家康はもう気が気じゃありません。ちょっとでも親しくしたら、築山殿に叱られるからでしょうか。
「すわっ!」
逃げ出そうとする家康の袖をつかみ、信康は諭しました。
「……母上が恐ろしいのは解ります。しかし父上。自分で生ませておきながら、生まれた我が子を愛さないのは、あまりにも人の道に反しませぬか?」
「……むむむ」
まったくその通りで、そもそも家康が侍女に余計な手出しをしなければ、こんな事にはならなかったのです。
「何がむむむですか。さぁさぁ、この世に生ませた以上は、我が弟を愛でていただきますぞ!」
という訳で、信康は於義丸を抱っこして、家康の膝に座らせます。
「わーい、ちちうえだー!」
「良かったな於義丸。ホラ、父上も於義丸にいい子いい子するのです!」
「あーわかったよ。ほーらおぎまるいいこいいこー(棒)」
「ちちうえ、だいすきー!」
何やかんやと言ったって、いざ膝に抱かせてしまえば情も移ろうと言うもの。
完全に苦虫を噛み潰した顔の家康ですが、いつかきっと於義丸を迎え入れてくれるはず……そんな幸せな未来を思い描き、弟に慈愛の眼差しを送る信康なのでした。
バックナンバー
- No.145【賛否両論】大河ドラマ『どうする家康』を振り返り見えてきた3つの「どうする」まとめ
- No.144「どうする家康」最後はみんなで海老すくい…最終回放送「神の君へ」振り返り
- No.143【最終回予習】本当に色々(1616年)あったね…徳川家康の死から「神の君」となるまで【どうする家康】
- No.142「どうする家康」共に乱世の夢を見ようぞ!第47回放送「乱世の亡霊」振り返り
- No.141二代将軍・徳川秀忠には息子が二人、どちらが将軍に相応しいか家康が課した試験とは?