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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 戦国時代、合戦にもルールがあった!小田原・関ヶ原の戦いを前に、徳川家康が発した軍令がこちら【どうする家康】

戦国時代、合戦にもルールがあった!小田原・関ヶ原の戦いを前に、徳川家康が発した軍令がこちら【どうする家康】

「戦いにルールなんかあるものか、勝てばいいのだよ、勝てばさ」

よくそんな事を言う手合いがいます。令和の現代だってそうなのだから、戦国乱世の戦さともなれば、ますますルール無用だったのかも知れません。

しかし子供の喧嘩ならばいざ知らず、集団同士の戦闘となれば、互いの連携なくして勝利をつかむのは難しいでしょう。

敵に対してはともかく、少なくとも味方同士では一定のルールが設けられ、その徹底が軍隊の士気≒戦闘力につながりました。

腕自慢百人がめいめい勝手に戦うよりも、非力であっても連携のとれた百人が団結する方が、実際の戦闘においては強いのです。

そこで大将は、戦に臨んで全軍へ軍令を発し、遵守させます。今回は「海道一の弓取り」と恐れられ、忍耐の末に天下を獲るに至った徳川家康(とくがわ いえやす)が発した軍令を紹介。

一つは天正18年(1590年)の小田原征伐、いま一つは慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦。それぞれ、どんな事が定められたのでしょうか。

家康のお達し~小田原編~

小田原御軍法

一、下知無くして、先手を指し置き、物見を遣わす儀曲事たるべき事

一、先手を指越え高名すといえども、軍法に背く上は、妻子ことごとく成敗すべき事(後略)

一、人数押の時、脇道すべからざる由、兼て堅く申付くべし。もし妄りに通すに於ては、その者の主人曲事たるべき事

一、諸事奉行人の指図を違背せしむるは曲事たるべき事(後略)

一、人数押の時、小旗、鉄砲、弓、槍、次第を定め、奉行相添えて押すべし。もし妄りに押すは、曲事たるべし(後略)

一、下知無くして男女乱取すべからず。もしこれを取り陣屋に隠し置けば、急度その者の主これを改むべし。自然他より相聞え、その者欠落せば、主人の知行を没収すべき事。附、敵地の家、下知無くして先手の者放火すべからざる事(後略)

一、下知無くして陣払いせしむるは曲事たるべき事

右の条々違背するにおいては、日本国中大小神祇も照覧あれ、用捨無く成敗せしむるものなり。よって件の如し

天正十八年二月吉日       家康 御判

御家中組頭物頭衆へ一通づつ下され候也

【意訳】

一つ、命令がないのに、先行部隊をさしおいて偵察を派遣してはならない。

一つ、先行部隊を追い抜いて手柄を立てても、それは軍法違反であるから評価しない。むしろ妻子ともども処刑するからそう思え。

一つ、進軍する時、指定した作戦ルートを外れてはならないと堅く命じておいた。違反した場合、主人に罪を問う。

一つ、こちら(家康本隊)より派遣している奉行人の指図に従わぬ者は罪に問う。

一つ、進軍に際して、小旗、鉄砲、弓、槍などそれぞれ決められた通りに進め。隊列を乱してはならない。

一つ、命令がないのに、乱取(らんどり。売り飛ばすなどの目的で人を拉致すること)をしてはならない。隠しても必ずバレるし、発見しだい主人の知行を没収する。

また、調子に乗って敵地にある民家などを命令なく放火してはならない。

一つ、命令がないのに、勝手に陣払い(陣地を撤収し、引き揚げること)してはならない。

……これらの取り決めに違反する者は、日本国中どこに逃げ隠れしようと、お天道様が見てござる。用捨(容赦)なく成敗するから覚悟せよ。以上、このように命じた。

などと言ったことについて記した書面を、各部隊の組頭(くみがしら。侍大将≒騎兵隊長)や物頭(ものがしら。足軽大将≒歩兵隊長)へ配布したそうです。

要約すると

(1)手柄を焦って抜け駆けするな、隊列を乱すな

(2)本隊から派遣した奉行人の指示に従え

(3)略奪をするな、無秩序な放火をするな

(4)勝手に退却するな

実にシンプルですね。このお達しがどれほど徹底されたのかはともかく、家康たちは勝利を収めたのでした。

2ページ目 家康のお達し~関ヶ原編~

 

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