
第45代・聖武天皇の謎すぎ行動「彷徨五年」実は計画的!?優柔不断な人物像をくつがえす最新学説【前編】
不可解な行動
「思うところがあって、今月末よりしばらく関東に行く。そのような時ではないが、やむを得ない」
『続日本紀』によると、日本の第45代天皇である聖武天皇は天平12年(740(年)10月、平城京 (奈良市)を出発して旅に出ました。
「関東」とは伊勢(三重県)などを指し、その後の約5年間は平城京へ戻らず、 恭仁宮(京都府木津川市)、難波宮 (大阪市)、紫香楽宮(滋賀県甲賀市)を転々としています。
これは一貫性のない不可解な行動として、後世に「彷徨五年」と呼ばれました。これを根拠に聖武の性格を「優柔不断」「繊細」「気「弱」 などととらえ、周囲の意見に左右されて政策が変転したと否定的に評価する根拠ともなってきました。
しかしこの通説について、聖武天皇の実像を理解するには生い立ちからのすべてを見ていく必要があるという研究者も多くいます。
今回は、この聖武天皇の謎の行動について、前編・後編に分けて解説します。
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真面目な天皇
7歳で父の文武天皇を亡くし、14歳で皇太子になった聖武は、早くから国を背負う運命にありました。24歳で即位してからは天災や疫病の流行、貴族の争いなどに悩まされましたが、四半世紀も皇位を保っています。
それだけ長く天皇位にあったのは、理想的な天皇のあり方を意識し、必死の努力を積み重ねた結果でしょう。そこには生涯を貫く真面目さがあったとする見方もあります。
ではなぜ、そんな聖武は平城京を離れたのでしょうか。
通説では、九州の役人えある藤原広嗣の反乱に衝撃を受け、都に悪影響が及ぶのを避けようと逃げ出したという「突然の逃避」説が一般的な見方でしたが、近年では綿密に計画していたとする説が有力になっています。
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