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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」鳥居元忠の最期、実際はどうだった? 第42回放送「天下分け目」振り返り

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山内一豊のセリフについて

「うぬ!」

小山評定の最中、奮然と立ち上がったのが山内一豊(山丸親也)。お、アレが出るか?……と思ったら。

「内府殿と共にィ、この山内一豊(やぁのぅちかずとょぉ)、戦いまする!」

あれ。それだけ?誰でも言えそうな汎用性の高いセリフ。あぁ、アレはないのですね。

というのも、この山内一豊は小山評定の場において「徳川殿のために、自分の居城(掛川城)を提供する」旨を家康に提言。これにより、どちらにつくか迷っていた諸将の覚悟が決まったのでした。

……かくて徳川殿の御陣に、小山宇津宮に有合ふ大小名召して。人々の心の程を尋ね給ひしに、福嶋左衛門大夫正則、最初に組みす、対馬守一豊続て進み出で、一豊が領せし城、海道にあり、速に御勢を以て守らせらるべし……

※『藩翰譜』山内 後賜松平

【意訳】小山評定において、家康が諸大名の心を尋ねると、福島正則(深水元基)がまず味方すると名乗りを上げました。続いて山内一豊が名乗り出て、東海道にある居城を提供する旨を申し出ます。

かくして家康の勝利に貢献した一豊は、後に土佐一国を与えられるのでした。この小山評定が「一言で一国を手に入れる」一世一代の見せ場だったのです。それが没個性的なセリフに落ち着いてしまい、ちょっと残念でした。

何か見るからに武闘派で、今後の暴れぶりに期待したいのですが……その内モブキャラ化していくのでしょうね。

ちなみにこの居城を提供するというアイディアは、事前に同僚の堀尾忠氏と考えていたと言います。

何だ、他人の受け売りか……と思われるかも知れませんが、いざその場になって実行できるかできないかは大きな差だと思います。

3ページ目 鳥居元忠の最期について

 

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