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「どうする家康」鳥居元忠の最期、実際はどうだった? 第42回放送「天下分け目」振り返り:5ページ目
本当はカッコよかった大久保忠益
劇中では利根川の氾濫で足止めを食らい、秀忠に書状を届けるのが遅れてしまった大久保忠益(吉家章人)。
真田の忍び扮する水夫らに襲われて書状を奪われ、取り返すのに手こずったとか。
私が真田方なら、とりあえず敵である大久保忠益を殺しておきますが、彼らは優しいんですね。
また書状もわざわざ取っておくでしょうか。裁判の証拠にする訳でもなし、奪って中身を確認したら、そんなもん火中にポイ一択と思われます。
さて、そんな大久保忠益は亡き大久保忠世らの従兄弟に当たる人物。果たしてどんな生涯をたどったのでしょうか。
●忠益
初忠利 與一郎 助左衛門 大久保五郎右衛門忠俊が五男、母は某氏。東照宮につかへたてまつり、永禄六年本願寺の門徒一揆のとき父兄親族等とともに上和田の砦にありて賊徒をふせぎ、軍忠を励し創をかうぶる。この役に朋友某忠益が鎗を借て敵を突てその鎗を捨、敵これをとる。忠益敵陣に馳いり、かの鎗を奪ひ、その敵を突首級を得たり。元亀元年姉川の役に、御旗本にありて敵兵をうちとり、三年三方原の戦にもしたがひたてまつり、天正三年長篠の合戦には柵際にをいて首級を得たり。八年遠江国色尾の御退口にしたがひたてまつり、九年高天神の城攻にも供奉し、戦を交へ創をかうぶるといへども、首級の功あり。十二年長久手合戦のときは、水野太郎作正重、小林又六某、青山善左衛門正長、安藤五左衛門重信等とともに柵際にいたりて敵を討とる。慶長五年関原御陣のときは、御使番に列してしたがひたてまつり、後御徒頭をつとむ。元和三年十月九日死す。年七十一。法名日浄。
※『寛政重脩諸家譜』巻七百四 藤原氏 道兼流 宇津宮支流 大久保
……三河一向一揆・姉川合戦・三方ヶ原合戦・長篠合戦・高天神城攻め・小牧長久手合戦をくぐり抜けた歴戦の勇士です。
関ヶ原でも使番として家康に供奉しており、のちに御徒頭(おかちがしら。歩兵隊長)にまで出世しました。
何だか泣きわめいて腹を切る切らない印象しか残ってないかも知れませんが、実は凄い人物だったんだと知って貰えたら嬉しいです。
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