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「どうする家康」鳥居元忠の最期、実際はどうだった? 第42回放送「天下分け目」振り返り:3ページ目
鳥居元忠の最期について
敵の軍勢に包囲され、側室の望月千代(古川琴音)とイチャイチャしながら最期を遂げた鳥居元忠。
果たして実際のところはどうだったのでしょうか。長いエピソードなので、最後の最期だけピックアップしましょう。
……はじめよりこれまで討て出で戦ふ事凡五度、敵を斬事其数をしらず。爰にをいて元忠城中に入りしとき其従兵わづかに十騎斗、四方に火かゝり城中に大軍みだれあひて、打残されし輩なを敵と戦ふ。……
※『寛政重脩諸家譜』巻五百六十 平氏(支流)鳥居
【意訳】伏見城から撃って出ることおよそ五度。縦横無尽に斬り回り、討ち取った敵は数え切れぬほどだった。
しかし生き残った者はわずか10名ばかり。四方から火の手が上がり、城内には敵の大軍が乱入。
残された者たちは、なお死力を尽くして戦い続けた。
……元忠長刀を杖とし石壇に腰うちかけて、しばらく息をやすめ居る處に、鈴木孫三郎某が組の士雑賀孫一重次と名のり、鎗を取て突かゝりしかば、城の大将鳥居彦右衛門元忠こゝにあり、首とりて名誉にせよと、長刀を取直して組むかふ。重次たちまち鎗をふせ大将の身として匹夫と斬死せられむは遺恨なり。今はこれまでなり、すみやかに生害あられよ、其しるしを申うけ、後代の誉とせむと申ければ、元忠しかりとし、汝に首を得さすべきなりとて、広縁に上りて腹かき切て死す。年六十二……
※『寛政重脩諸家譜』巻五百六十 平氏(支流)鳥居
【意訳】くたびれ切った元忠が、石壇に腰かけて休んでいると、一人の敵が現れた。彼は鈴木孫三郎の配下・雑賀孫一重次。元忠に一騎討ちを挑みかかる。
「我こそは伏見城代・鳥居彦右衛門。この首とって誉れと致せ!」
長刀をもって挑みかかるも疲労困憊、たちまち重次に突き伏せられてしまう。
「鳥居殿ほどの方が、それがし如き匹夫に首をとられては気の毒でならない。今はこれまで、速やかにご自害召されよ」
「相分かった。この首級をくれてやろう」
かくして元忠は腹を掻き切って息絶えた。享年62歳。
……とのこと。今回は最期だけピックアップしましたが、三成の大軍に怯まぬ様子や、息子たちに語り継いだ忠義の精神などを描いて欲しかったですね。
※鳥居元忠の遺言:
【関ヶ原の合戦】死を覚悟した鳥居元忠(音尾琢真)が息子たちに送った遺言がコチラ【どうする家康】
……この日元忠にしたがひて戦死する宗徒の郎等五十七人、其餘兵七百餘人、歩卒数百人に及べり。こゝにをいて孫市重次、元忠が首を得て実検に備ふ。三成これを公卿臺にすへて、大坂京橋口に梟首す……
※『寛政重脩諸家譜』巻五百六十 平氏(支流)鳥居
【意訳】元忠と共に討死した者は一族57名、その他兵が700余り、雑兵が数百人に及んだ。
雑賀重次は元忠の首級を首実検に備え、三成はそれを梟首(きょうしゅ。さらし首)とした。
……かくして伏見城は陥落。決戦の火蓋が切って落とされたのでした。
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