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豊臣秀吉の出世は“努力物語”だけじゃない!戦国時代の成り上がりを支えた意外な水運ネットワーク

豊臣秀吉の出世は“努力物語”だけじゃない!戦国時代の成り上がりを支えた意外な水運ネットワーク

豊臣秀吉の出世といえば、草履取りからの成り上がりという物語が定番です。世間一般的な理解では、秀吉は才覚と努力で信長に認められ、武功を重ねて出世したという流れですね。

しかし実際には、秀吉の出世を支えた要素はそんな単純な事柄ばかりではないことが分かります。

その中のひとつとして挙げられるのが水運ネットワークで、木曽川流域に勢力を持つ川並衆との関係は見逃せません。

川並衆は木曽川の水運を担う土豪層で、尾張と美濃を結ぶ物流の要でした。彼らは水運だけでなく、土木技術にも通じ、地域の武士や商人と幅広い関係を持つ存在でした。

この川並衆と秀吉の間にはどのような関係があったのでしょうか。そして、彼の出世にどのように関係していたのでしょう。本稿ではこれを紐解いていきます。

放浪時代の接触

秀吉が川並衆と接点を持った背景には、放浪時代の経験があります。

『太閤素生記』によれば、秀吉は松下家を出奔した後、濃尾国境付近でさまざまな土豪と関わりを持ったとされます。

川並衆もその一つで、蜂須賀正勝(蜂須賀小六)らが代表格でした。『武功夜話』では、秀吉と川並衆が商人・生駒蔵人の屋敷で知り合い、意気投合したと描かれています。

※参考:

【豊臣兄弟!】後に藤吉郎(秀吉)を支える義兄弟──前野長康と蜂須賀正勝、明暗別れたそれぞれの末路

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」、2月22日(日)に放送されたの第7回「決死の築城作戦」で、美濃攻略のため、墨俣に砦を築くよう命じられた小一郎(仲野太賀)と藤吉郎秀吉(池松壮亮)。尾張と美濃の国…

史料の信憑性にはいくぶん疑問が残るものの、秀吉が地域の有力者と交流していたという点は、他の史料とも矛盾しません。

もともと川並衆は尾張に拠点を置きながらも、美濃の武士と深い関係を持っていました。木曽川の水運は尾張と美濃を結ぶ生命線であり、彼らはその流域で独自のネットワークを築いていたのです。

秀吉はこのネットワークに触れ、地域の情報や人脈を吸収していったのでしょう。

2ページ目 調略の成功

 

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