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江戸時代の農民は“弱者”ではなかった!幕府の強制検地をも断念させた百姓たちの交渉力と生活防衛術

江戸時代の農民は“弱者”ではなかった!幕府の強制検地をも断念させた百姓たちの交渉力と生活防衛術

思ったより軽い年貢

江戸時代の農民といえば、重い年貢に喘ぎながら貧しく暮らしていたイメージが一般的です。

当時の重い年貢率を指す言葉として、収穫の5割を領主へ年貢として納め、残りの5割が農民の取り分となる五公五民という言葉もあるほどです。

しかし、当時の実質的な年貢率をデータで精査すると、実際には三公七民ほどが一般的だったと考えられています。

江戸初期こそインフラ整備のために四公六民程度となっていましたが、整備が進むと三公七民へと落ち着きました。

しかも、徴収された年貢の多くは土木工事の労賃として農民に還元されていたのです。

そもそも年貢の決め方には、その年の出来高で決める検見法という方式がありましたが、この方式では最も収穫の悪い田を基準にするため農民に有利だったのです。

また農民たちは、検見に来る役人を丁重にもてなすことで、年貢を低く抑える交渉を行いました。賄賂を渡して負担を減らしてもらうことも、当時はごく当たり前のことだったようです。

そしてのちに主流となった定免法では、収穫が増えても年貢の額は一定に据え置かれました。こうなると増産分はすべて農民の利益になるため、彼らの生産意欲は劇的に高まったのです。

さらに災害時には年貢を減免するなど、幕府や藩による柔軟な運用も徹底されていました。江戸時代の徴税システムは、農民の生活が破綻しないよう緻密に計算された合理性に基づいて運用されていたのです。

2ページ目 隠し田の強制捜査は農民の怒りを買う危険が

 

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