『豊臣兄弟!』浅井長政を支えた浅井三将・海北綱親とは?忠義に生きた勇将の実像
浅井長政を支えた家臣の中でも、とりわけ異彩を放つ人物がいます。それが、浅井三将の一人に数えられる海北綱親(かいほうつなちか)です。
忠義と武勇で知られ、あの羽柴秀吉さえ恐れたと伝わる名将でした。ところが、その生涯をたどっていくと、思わぬ謎が浮かび上がります。
海北綱親は小谷城落城で討死したはずなのに、実はそれより何十年も前に亡くなっていた可能性があるというのです。では、浅井長政に仕えた海北綱親とは、いったい何者だったのでしょうか。
今回は、浅井家を支えた重臣・海北綱親の実像と、その死をめぐる謎に迫ります。
浅井三将のひとり、赤尾清綱については以下の記事で解説しています。
大河『豊臣兄弟!』では描かれない?浅井長政への忠義を貫き通した戦国武将・赤尾清綱の壮絶な最期
人間はとかく3という数字が好きなのか、戦国時代にも三好三人衆とか美濃三人衆が活躍していました。北近江を領していた浅井長政(中島歩)にも浅井三将と呼ばれる者がいたようで、その顔ぶれは以下の通りで…
浅井家三代に仕えた名将
海北綱親は生年不詳、近江国瓜生の出身とされています。
元服して通称を善右衛門(ぜんゑもん)と名乗り、浅井亮政(すけまさ)・浅井久政(榎本孝明)そして長政と三代にわたって仕えました。
その忠義と才能から浅井家の屋台骨を支え、知勇兼備の名将として、羽柴秀吉も恐れていたそうです。
陣中では軍奉行(いくさぶぎょう。監督役)を務めたものの、天正元年(1573年)に浅井家の本拠地である小谷城が陥落すると、討死してしまいました。
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