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本多忠勝・榊原康政の最期
「老いなど認めぬ!」
西国へ睨みを利かせるべく、鬼神のごとき肖像画を描かせる本多忠勝(山田裕貴)。自慢の名槍・蜻蛉切で指を切ってしまったことで、生涯無傷の伝説が破られてしまいました。
一方、そんな忠勝をたしなめる榊原康政(杉野遥亮)。彼もまた病魔に蝕まれ、別れの挨拶回りに忙しそうです。
「もう、見えておらんのであろう」
忠勝は慶長12年(1607年)ごろに眼病を患い、慶長14年(1609年)には隠居。家督を嫡男の本多忠政に譲りました。そして慶長15年(1610年)10月18日、63歳で世を去ります。
この時、本多家重臣の梶勝忠と中根忠実が後を追って殉死。平生よほど慕われていたのでしょう。
『名将言行録』では大谷三平とその家僕が殉死しており、遺した辞世が伝わっています。
死にともな、あゝ死にともな、去りとては、君の情の、今は恨めし。
【意訳】死にたくない。あぁ死にたくない。しかし主君(忠勝)から受けた恩義を思えば、後を追わずにいられない。それが今となっては、とても恨めしくてならない。
実に複雑な感情が詠まれていますが、これは本多忠勝自身の辞世としても伝わりました。
死にともな 嗚呼死にともな 死にともな深き御恩の 君を思えば
【意訳】死にたくない。あぁ、死にたくない、嫌だ、死にたくない!我が君(家康)から受けた深い御恩に、まだまだ報いねばならんのに!
……鬼神のごとき忠勝からは想像もつかない家康への忠義は、愛情にも近いものでした。
なお、榊原康政は忠勝よりも早く慶長11年(1606年)5月14日、59歳で病死しています。
秀忠はその死を深く悼み、関ヶ原の遅参をかばってくれた恩義を忘れることなく墓参したのでした。
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