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本多正純と朱子学について
さて、老将たちが世を去っていく中、新たな世を切り開く優秀な人材が続々と集まってきました。
そんな一人が本多正純(井上祐貴)。かのイカサマ師?本多正信の嫡男です。
「あのイカサマ師の子とは思えぬほど真面目な……」
家康からそう評されますが、正信のイカサマ師設定は、生涯有効なんでしょうか。
確かに過去色々あったとは言え、もう何年前のことですか?半世紀近くも昔のことをいつまでもネチネチと……。
話を戻して、この本多正純は永禄8年(1565年)生まれ。第44回放送終了の慶長16年(1611年)時点で、すでに47歳。そんなに若くもないどころか既に初老ですが、まぁおいときましょう。
『名将言行録』から、その生涯をざっくり抜き出すとこんな感じです。
佐渡守正信の子、弥八郎と称す、後上野介に任じ、宇都宮十八萬石に増封せらる。後罪を得て由利に謫せらる。寛永十四年三月十日卒、年七十三。……
※『名将言行録』巻之五十六 ○本多正純
家康のブレーンとして篤い信頼を得て、父と共に活躍しますが、家康の死後に失脚。出羽国へ流罪とされ、現地で寂しく世を去ったのでした。享年73歳。
ちなみにこの正純、関ヶ原における秀忠の遅参を父・正信の責任とし、切腹させるよう家康に進言したとか。
それを知って、老臣の一人である安藤直次は「父親に腹を切らせようとした報いを、必ず受けるであろう」と予言。非業の末路は、天罰だったのかも知れませんね。
ちなみに江戸時代の朱子学は、藤原惺窩(ふじわらの せいか)が嚆矢(こうし。パイオニア)となって普及させました。
林羅山(笑い飯・哲夫)はじめ、多くの者たちが弟子となっており、泰平の世を維持する上で重要な教えとして広まります。
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