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源頼朝に徳川家康…関東武士たちの信仰を集めた「伊豆山権現」とはどんな神様?【奈良国立博物館】

源頼朝に徳川家康…関東武士たちの信仰を集めた「伊豆山権現」とはどんな神様?【奈良国立博物館】

先日、奈良国立博物館を見学する機会に恵まれ、多くの神像仏像を拝ませていただきました。

その一体に伊豆山権現(いずさんごんげん)の像があり、遠く奈良の地で拝めたご縁に感謝しきりです。

古くから坂東武者たちの信仰を集めてきた伊豆山権現。平安~鎌倉の坂東武者ファンならば、その名を知らぬ者は(多分)いないと思います。

という訳で、今回はそんな伊豆山権現について紹介。果たしてどんな神様なのでしょうか。

神様と仏様が合体!?

伊豆山権現とは、伊豆走湯山(そうとうざん)から湧き出す温泉(走湯)の化身です。

恐らく在地の人々が、温泉の有難みに感謝して神とお祀りしたのが始まりでしょう。

やがて神仏習合・本地垂迹(ほんじすいじゃく)の思想から、伊豆山権現は千手観音(せんじゅかんのん)や如意輪観音(にょいりん~)、阿弥陀如来(あみだにょらい)が日本にやってきた仮の姿(権現)であるとも言われるようになりました。

明治時代の神仏分離・廃仏毀釈が行われるまで、日本の神様と仏様は一体の存在として祀られることが多くあります。神社と寺院が分離された令和の現代でも、その名残が少なくありません。

伊豆山神社の歴史・創建から平安時代まで

そんな伊豆山権現が祀られる伊豆山神社は、第5代・孝昭天皇の時代に創建されました。西暦で言うと紀元前5~4世紀に当たります。

※当初は伊豆山神社とは呼ばれていませんが、便宜上「伊豆山神社」で統一しましょう。

伊豆山神社は第16代・仁徳天皇が勅願所(天皇陛下が勅使を遣わして祈願なさる所)となされたのをはじめ多くの天皇陛下が勅願所とされました。

やがて文武天皇3年(699年)に修験道の開祖と名高い役小角(えんの おづぬ。役行者)が走湯山に修験道場を開き、以来修験道の聖地として栄えました。

伊豆山権現は伊豆山三所権現(~さんしょごんげん)とも呼ばれ、法体は千手観音・俗体は阿弥陀如来・女体は如意輪観音とされたそうです。

※一説に法体は聖界、俗体は俗界、女体は陰界それぞれにおける姿と言われます。

やがて平安時代前期の承和3年(836年)、伊豆山神社は現在の鎮座地へ遷座されました。

2ページ目 伊豆山神社の歴史・関東の総鎮守に

 

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