源頼朝に徳川家康…関東武士たちの信仰を集めた「伊豆山権現」とはどんな神様?【奈良国立博物館】:3ページ目
伊豆山神社の歴史・家康による再建以降
北条討伐の後に関東へ国替えとなった徳川家康は、文禄3年(1594年)から慶長17年(1612年)にかけて伊豆山神社の再建に乗り出します。
やはり関東を治める上で、総鎮守である伊豆山神社は軽視できなかったのでしょう。
かくして江戸時代における伊豆山神社は、僧坊が12、修験坊が7と大いに栄えました。
諸大名が伊豆へ湯治に訪れた際は、伊豆山神社も合わせて参拝したそうです。
しかし明治時代に入ると新政府による神仏分離令が発せられ、伊豆山神社は三つに分離されます。
- 神道→伊豆山神社
- 仏教→走湯山般若院(真言宗)
- 修験道→廃止
生き残った伊豆山神社と走湯山般若院は現代までその信仰を守り抜き、令和の今日に至ります。
終わりに
今回は坂東武者から崇敬を集めた伊豆山権現と伊豆山神社の歴史を駆け足で紹介してきました。
かねて『吾妻鏡』でしばしば目にしていた伊豆山権現の名前を奈良の地で見つけた時は、静かに興奮したものです。
その姿を拝んで、往時の信仰を偲ぶひとときとなりました。
奈良国立博物館では、他の神仏像も拝めたので、また改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 熱海市史編纂委員会 編『熱海市史 上巻』熱海市、1967年5月

