源頼朝に徳川家康…関東武士たちの信仰を集めた「伊豆山権現」とはどんな神様?【奈良国立博物館】:2ページ目
伊豆山神社の歴史・関東の総鎮守に
その後も伊豆山権現は崇敬を集め、相模国の箱根権現と並んで二所権現と呼ばれます。
『吾妻鏡』では平治の乱(1160年)に敗れ、伊豆国へ流された源頼朝(みなもとの よりとも)が治承4年(1180年)に打倒平家・源氏再興の祈願を行った記述があり、以来坂東武者らに厚く崇敬されました。
やがて鎌倉に武家政権(鎌倉幕府)を樹立した頼朝から多くの寄進を受け、伊豆山神社は関東の総鎮守として歴代将軍から崇敬されています。
鎌倉幕府が滅んで室町時代に入り、武家政権の中心地が京都へ移っても、伊豆山神社は湯治客による参拝客などで変わらず賑わいました。
また第105代・後奈良天皇の勅願所となるなど、伊豆山神社は東国における重要な役割を担い続けます。
しかし天正18年(1590年)に豊臣秀吉が小田原北条氏を討伐した際、伊豆山神社は北条氏に与したことから焼き討ちされてしまいました。
